為永 春水の『春色梅児誉美』(『梅暦』)第十一巻のオープニングは、いまは、牛島に住まいをさだめている「お由」のところに、四十あまりのおかみさんが訪れてくる。
妹ぶんの「お蝶」が出ると、千葉の大和町からはるばる出かけてきた、と挨拶する。
千葉と聞いて、「お由」が部屋に迎え入れると、「内儀はなにやら眼に涙。」
お内儀は、昔蒔絵の織部形、三つ組の懐中盃を出す。それを見て驚いた「お由」は、自分の手箱から、書き付けを出して開こうとする。お内儀は、それを見るなり、涙声で、それを書いたのは私です、という。
お由は聞いてびっくりし、「エエそんなら、わちきが五つの歳、お別れ申した、母御(おっか)さんでございますか」
内儀「サァ。アイと、返事もできにくいわたしが胸を推量して、邪見な母(おや)と思はずに、堪忍して」と、泣きしづむ。
お由もワット声をあげ、むせかへりつつ寄り添ひて、
「イエイエ、何のもったいない、堪忍どころじゃございません。親父(おとっ)さんの存生(たっしゃ)な節(とき)さへ恋しかったおっかさん、まして常々気にしても、尋ねる当もないおまへが、とうして、わちきの在宅(ありか)が知れて、モシマア夢ぢゃぉ有りませんか」
と取りすがりたる親と子の、道理(わけ)さへしれぬ愁嘆に・・
というシーン。
さすがに春水、冒頭、愁嘆場から読者の興味をいっきにつかんで小説を展開してゆく。
このお内儀は、「お由」を生んだのが十六歳の暮れ。二十一歳のとき、また女の子を生んだが、生活難で、亭主と協議離婚。夫は、「お由」をつれて田舎の親戚を頼って去った。妻は、乳呑み子を里子に出し、しばらく乳母などをしているうちに、「藤兵衛」という者の囲い女になった。・・
里子にだした女の子こそ、いま深川に全盛の芸者、「米八」という。
このあとすぐに、作者、為永 春水がしゃしゃり出てくる。
よくよくかんがへ読みたまはねば、作者のつづりがあしきゆゑ、わかりがたかるくだりもあるべし。すべて予が作為の癖は、発端にいふべきすじを、のちにしるすが常なれば、高覧をねがふのみ。
すごいねえ。さすがは為永 春水。
(つづく)