先日、柄にもなく李白のことを書いた。
少時(若いころ)、漢詩をずいぶん読んできたが、李白については、ひたすら酒を愛し、胡蝶の夢を見て、縦酒遨蕩(じゅうしゅ・ごうとう)の一生を過ごした詩仙という程度の理解しかもたなかった。
なにしろ、「月下の独酒」のなかで、
三月咸陽城 三月 咸陽城
千花晝如錦 千花 晝 錦のごとし
誰能春獨愁 誰かよく 春 ひとり愁う
對比徑須飲 これに対して すべからく ただちに(酒を)飲むべし
というくらいだから、お酒が好きで、いつも酔っぱらっていたらしい。
しかし、ずっとたって李白を読み直してみると、彼の詩には、いいようのないメランコリー、あえていえば、depressiveness がただよい、流れ、あふれているような気がした。ときにはボードレールの<憂愁>に近いものさえ感じられる。あるいは、『獄中記』以後のワイルドの悲痛な叫びに似たものが響いているかも知れない。
暗澹たる心情をまぎらわすために、李白さんはひたすら酒に沈湎したのではないか。そう思って読むと、落魄不羈の酔翁と見るよりも、もっとちがった相貌をもっていたのではないか、と思えてくる。
もう少し考えてみよう。