ある日、神保町の喫茶店で、植草 甚一さんがいった。
「日本で、いちばん最初にジロドゥーを紹介したのが誰だったか、ご存じですか」
誰だろう?
岸田 国士さんか、「劇作」の人たちの誰かだろう。もし、そうだとしたら、原 千代海さんあたりか。いや、植草さんがいたずらっぽく訊いたのだから、意外な人にちがいない。岩田 豊雄ではないだろう。ひょっとして、久生 十蘭だろうか。
「じつは、私が翻訳して上演したんです」
驚いた。まさか、植草さんがジロドゥーを上演したとは知らなかった。
まだ学生だった植草さんが訳して、とにかく上演までもっていったという。その舞台に出た女性の名前を教えてもらった。後年、私も見ている女優さんだった。
学生演劇なので、まったく注目されなかったらしい。ただ、まだ誰もジロドゥーを知らなかった時代、昭和の初期に、はやくもジロドゥーの戯曲を読んで、さっそく舞台にかけた学生がいた。そのことに私は驚愕した。
むろん、植草さんはうそをつく人ではない。
植草 甚一さんは、私にとってはありがたい先輩のひとりだった。