万能の人。ルネサンスに、ダヴィンチや、ミケランジェロのような万能人がいたことはまちがいない。
万能の人という理念をはじめて展開したバルダッサーレ・カステイリオーネによれば、完全な宮廷人は、戦闘、舞踊、絵画、歌唱、作詩に長じて、君主のよき相談相手でなければならない。
これだけで、私などは失格である。
私の戦闘能力はゼロ。
ダンスは踊れない。
たまに水彩のごときものは描くけれど、人さまに見せられるようなものではない。まして油絵を描く才能も時間もない。
カラオケにさえ行ったことがない。
俳句をひねることはあっても、川柳にもならない程度。詩を書いたことはない。
だいいち、宮廷人ではない。
フィレンツェのフマニスタ、パルミエーリは、
人間は多くのことをまなぶことができるし、多くの技芸に秀でることによって万能の人になれる。
という。
アルベルテイや、ブルネレスキのような人は、多くのことをまなんで、多くの技芸に秀でていたから「万能の人」といってよい。
私はチンパンジーなみの計算しかできない。
建築は、トンカチでクギ一本打つのさえやっと。五寸クギとなったら、もう私の手にあまる。
天文学の知識は皆無にひとしい。星座どころか北斗七星さえ見分けがつかない。
私がルネサンスの宮廷にいたら、せいぜい道化師か、下働きの園丁ぐらいだな。
「万能の人」どころか「無能の人」の典型なのである。