(つづき)
ヘラヘラヘッタラ、ヘラヘラヘということば。
それっきり忘れていたが、芸能史を読んで、明治20年代に、上方、とくに神戸の寄席で、いたるところ「ヘラヘラぶし」が流行したと知った。当時、西門筋の橘亭という美人ぞろいの席亭では、三年間、ぶっつづけでこれをやった。大阪からも女ヘラヘラの重尾一座が乗り込んで、美人の手踊りで評判をとった。なにしろ、連日、押すな押すなの札止めで、たいへんな人気だったという。
重尾は「ヘラヘラヘッタカ」と詠ったらしい。
この重尾姐さんが千日前で演じたときは、赤い襦袢に三千円の纏頭(はな)がついたというから、たいへんな熱狂ぶりだった。
これ以上くわしくは書かないが、この踊りで何が見えたのか。
してみると、エノケンの「法界坊」のヘラヘラぶしは、江戸風俗からきたものではなく、むしろ明治の流行をとりいれたものと見たほうがいい。ただし、エログロ・ナンセンスからエロティシズムぬきで。
しかし、もうすこしちがう想像もできるような気がした。
明治16年、東京の花柳界で、たいへんに流行したものがある。それは、「よいよい、よいやさ」であった。
(つづく)