女性の会話で、間投助詞というのか、語尾につけられる「わ」や「ね」ということば。あれはいつ頃から使われるようになったのか。
国語学者に聞けばすぐに教えてもらえるだろうが、長年、誰にも聞く機会がなかったので、なんとなく気になっていた。
為永 春水の『春色梅児誉美』では、
「ナウお蝶、よもや藤さん其様な事はありもしまいねぇ」(巻之十)
ザァマスことばは『春色梅美婦弥』に頻発するが、「あります」と、過去形の「ありました」という例も『春色梅児誉美』で見つけた。
「だうりで知れないはずでありましたねぇ」(巻之八)
『梅暦』の続編、『春色辰巳園』(しゅんしょく・たつみのその)のなかで、深川芸者の「米八」を「丹次郎」がひき寄せて、キスしようとする。「米八」は、それをふせいで、
「アレサ、マア、私もお茶を呑むわね、と丹次郎の呑み欠けしちゃをとって、さもうれしそうにのみ、また茶をついで・・
というシーンがある。「お茶を呑むわね」という語尾が印象に残った。
おなじ春水の『英対談語』には、
「オヤオヤおもしろい事を書いた本でございますネェ」(巻之七)
「誰がいはずとも、自然(ひとりで)に知れますわ。それにはじめをいつて見ますと、其のおいらんの所へお出の途中で、雨が振ったのが、私の僥倖(さいはい)になりきとたのだから、柳川さんの方が、縁が先手(さき)でございますわ。」(巻之十一)
「オヤ嬉しい、お前はんがいつもの様に、肝癪(かんしゃく)をおこさないで、左様仰しやるとまことにモウモウ、安心いたしますわ」(巻之十一)
『浮雲』が発表されて、文語体の表現が小説から消えたのは明治41年という。
しかし、日常のなかでは、はるか以前から女性の話の語尾が変化してきたらしい。
もっとも今の女の子のしゃべっていることばは男と変わらないのだから、小説でかきわける必要はない。
春水が生きていたら、どんな顔をするだろう。