人生をふり返って、男女をとわず、親しい友人がいたことを考える。
しかし、ほんとうに親しい仲間だった友人が、自分より先に鬼籍に入ってしまったり、ある時期、お互いにかけがえのない友情をもちつづけていたはずの、友人たちと、あまり関係がなくなる。たとえば文通がだんだん間遠になって、お互いに会うこともまれになる。ときには、あれほどにも堅固にお互いをしっかり結びつけていた絆が、それぞれの身辺の事情や、仕事の性質から、いつしか力を失ってゆく。
若い頃の友情などは、中、高年になってしまえば、気恥ずかしいものとして忘れてしまったり、思い出すにしても、どういうものか、ある程度の悔恨さえともなう。
誰にでも経験のあることだろう。
たいていの場合、友情は長つづきしない。
友情とは、恋愛とおなじくはかないものなのか。
恋愛で苦渋をなめたあげく、失恋でうちのめされたりする。しかし、だからといって、その恋を気恥ずかしいものと思ったり、悔恨をともなうだろうか。
恋をしているときは、相手の存在が、みるみるうちにめくるめくような力をふるう。それは自分の人生の未知の部分が開示されるような気がするからだ。つまりは、この世で、自分とはちがう別なものを認識する唯一のチャンスだが、友情は、それとはちがって、年をとるにつれて、成熟したり衰えていったり、なんらかちがった姿になってゆく。だから、それぞれの時期に友人ができても、たいていの場合、長つづきしない。
私の不幸はたいせつな時期に、たいせつな友人たちとつぎつぎに別れなければならなかったこと。