老年になって、あまり小説を読まなくなった。
むろん、例外はある。ジャネット・アンダーソンの『さくらんぼの性は』や、『灯台守の話』や、ニコルソン・ベイカーの『もしもし』や、『フェルマータ』のような小説は別。こういう小説はなんといってもおもしろい。それに、岸本 佐知子の訳がすばらしいから。
しかし、最近になって、あまり小説を読まなくなったことは事実である。
これまでの私はいちおう批評家だったので、たくさんの小説を読むことが仕事だった。それこそ手あたり次第に読みふけってきた。いってみれば、作品という死体をむさぼり食うグール(食屍鬼)のようなものだった。
その頃の私は、舌の感覚も無視して、ひたすら美味をむさぼる餓鬼のように、ただもう食べることに夢中だった。
グール(食屍鬼)にだって夢はある。私が批評家としての夢に憑かれていたといっても、そう見当違いではないだろう。
その私があろうことか、美味珍味にあきあきしたグルメのように、小説にあきてしまった。私が、「ハリー・ポッター」や、「グラディエーター」や、「バイオハザード」といった映画を見るよりも、「恋する惑星」や、「マルコヴィッチの穴」や、「チョコレート工場」といった映画に興味をもつようになったことに似ている。
ついでにいうと・・・似ている(ライクネス)と好き(ライキング)は、おなじだそうである。
小説を読まなくなった私が好きになったのは、歴史、それもごくかぎられた時代に生きた人々だった。たとえば、ルネサンスの人々。
それもダヴィンチ、ミケランジェロといった天才たちではなく、歴史の流れのなかに浮かんでは消えてしまった人々が、好きになってしまった。
その人々は、いろいろな資料にちらっと顔を見せるだけだが、どうかするとその時代の雰囲気を強烈に感じさせたり、その時代の体臭を身につけている。それぞれの人が、私のひそかな夢をすでにみごとに実現しているような気がした。
とくに女性には、彼女のことを考えていると、自分のまわりに知らない時間が流れて、自分がローソクを手に、彼女の部屋に通じている階段を、そろりそろりとしのび込むような気がした。彼女たちは、ビアンカ・カッペロとか、ヴィットーリア・アッコランボーニという名前の女たちで、ときには、いともやすやすと私にいのちを投げ出しているくせに、なかなかからだをゆるさない。私の腕に抱かれても、まるで感情をみせない女もいた。それがまた、古代の処女のようなコケットリーにさえ見えるのだった。それぞれに歴然たる程度の差はあったけれど。
そういう人の生きかたを調べたり、わからなければわからないなりに、自分の内面で再現してみたい。
それも作家の仕事といっていいのではないだろうか。私はそう考えたのだった。
私は評伝というかたちで、いつも興味ある人間だけを描こうとした。
評伝で書こうとしたのは、その人物ととことんつきあうことだったし、ときには格闘したことで、史伝などとは関係がない。むろん、関係がないといいきるのは間違いだが、あえていえば、彼、彼女と手をたずさえて、その時代をひたすら走り抜けるよろこびといおうか。
中国古代、楚の詩に、
子 手をまじえて 東に行き
美人を 南浦に 送る (河 伯)
という情歌があるが、私の評伝はそんな気分のものにすぎない。
八十歳、私のさしあたっての文学的総括である。