687

 駿河台の近く、猿楽町の中学に通っていた。その後、戦後になって駿河台の大学で講義をつづけていた。私は今でも月に二、三度、駿河台下、神保町からお茶の水界隈を歩いている。
 「山ノ上ホテル」にもあまり立ち寄らない。スタッフがすっかり変わってしまった。好きな喫茶店は「クラインブルー」。「壱番館」。
 洋書の「北沢」、「松村」、和書の「一誠堂」、「小宮山」にはかならず寄って本の顔を見る。ただし、小川町、神保町でイタリア語の本を買わなくなった。

 人生の大半をおなじ土地で過ごしてきた。すっかり変わってしまった駿河台、お茶の水界隈を歩きながら、つまらない人生だったなと思う。
 それでも、ほかのどこの場所より、私にとってはなぜかノスタルジックな土地なのである。

 明治初年の頃、お茶の水南側の一帯が紅梅町。いまの「丸善」のあたりは幕府直属の伊賀者の長屋。「杏雲堂」の病院の横に、大久保彦左衛門の屋敷跡。