私の趣味(?)は焚き火だった。
ネコの額ほどの庭があって、わずかながら樹木、花などを植えている。秋になると落ち葉がたまる。それを箒で掃きあつめる。
家の前の道路に、サルスベリ、ツタ、ツバキなどの枯れ葉を盛り上げる。古新聞に火をつけて燃やす。水分をふくんだ枯れ葉はいぶって、白い煙があがる。サツマイモを二、三本、アルミ・ホイルにくるんで放り込む。火のそばにつきっきりでヤキイモができるのを待っている。
やむを得ない事情で、家を新築した。私の蔵書は、さる図書館三つに、それぞれ寄贈したり、古書店に売り払った。
レンガ作りで、直径3メートル、深さ、60センチほどのまるいかたちの池に、キンギョ、コイ、メダカなどを飼っていたのだが、家を新築するので、ブルドーザーがきてこわすことになった。サカナたちを、近くの公園の大きな池に放してやって水を抜いた。
ブルドーザーがくる前に、ここで、いろいろなものを燃した。池は、たちまちゴミ焼却場になった。
手あたり次第に、原稿や、自分の手もとに残った校正のコピー、女の子たちからの手紙、芝居の演出ノートなどを火のなかに投げ込む。いらない原稿ならいくらでもある。自分の原稿を焼き捨てる快感はなかなかのものだった。
なかなか燃えないときは、手あたり次第に、書き損じの原稿や、へたくそなデッサンを引き裂いて火をつける。紙屑ならいくらでもある。
油絵やアクリルで描いた絵は、みんな焼き捨てた。
アメリカの大学生たちが卒業式を終えたあと、校庭に出て、いっせいにテキストや、答案を燃して、放歌高吟するファイアーストームの気分に近いものがあった。
まだ、公害がそれほど切実な問題になっていなかったから、こんなことも許されたのだろう。
しかし、地球の温暖化に私もほんのわずかながら責任があるかも知れない。(笑)
だから、焚き火もしなくなった。