やがて幕府は倒れて、明治新政府が登場する。
軍服や、太政官、官吏の制服がきめられたのが明治三年。公式の服装が洋装になったのが、明治五年。翌明治六年に断髪令が出て、ザンギリ頭が出現する。
明治十六年に、当時の日本が苦しんでいた不平等条約の撤廃をめざして、鹿鳴館が作られた。いわゆる文明開化の時代であった。
こうした日本人に対して、アメリカ人たちは、あからさまな模倣に眉をひそめた。アメリカ人にかぎらず、日本人が外国の文化の模倣ばかりしていて、さる真似の天才と見た人は多い。
「もの真似の習慣がいま急速に日本に広まっている。これは在日外国人なら誰でも証言できると思う。
日本製の生地で作ったヨーロッパふうのドレス、紐もなく黒く染めてもいないブーツ、ズボン吊りもボタンもついていない、だぶだぶのズボン。数多くのいかさまなブーム。
こうした光景は、日本以外では見かけることはできないだろう」
これは、明治二年十二月、在留アメリカ人の新聞に出た記事であった。
今でも日本人に対して、こうした批判はあとをたたない。
だが、冷静に見るがいい。今、アメリカではインド製や韓国製の「ヨーロッパふうのドレス」が氾濫しているし、「紐もなく黒く染めてもいないブーツ、ズボン吊りもボタンもついていない、だぶだぶのズボン」は、世界じゅうのファッションになっているではないか、などと野暮はいうまい。
ただ、ここに見られる、日本人に対するいわれない蔑視には私たちも注意していたほうがいい。
「彼らの洋服を着るマナーを見ると、スカートをはいたサルを思い浮かべざるを得ない。その行為になんらの美徳もなく、ショー・アップしたいという気もちだけなのである。グロテスクな身なり。外国人の衣服を着ることは、人形のパーティーとしかいいようがないではないか」
これは明治三年に「アメリカ領事館公式機関紙」に掲載された記事の一節。