さて、幕末の日本人は何でも見てやろうと思った。
勝 海舟の咸臨丸がアメリカに行く。いろいろなものを見た。
加藤 素毛の「夜話」にいわく、
「其刻夜行して市俗を察(み)るに、至て静穏なり、妓楼を除くの外(ほか)、行歌の者なく、会飲する者曽(かつ)てなし、昼夜共に触売(ふれうり)の声を不問(とわず)、雖然男女の淫行甚厚く、街々の軒下或ハ、道路にたたずみ、又は野合し、傍人これを見懸(みかけ)るとも恥る色なし、惣(そうじ)て婦人は人に馴(なれ)易く、男子を見て喜ぶ風(ふう)あり」
サムライが驚くのも無理はない。世態人情、風俗習慣の違いは、これだけの記述からもうかがえるのだが、「しかりといえども男女の淫行はなはだ厚く」という部分など、儒学教育を受けてきた加藤さんには、さぞ眼の毒だったろう。
なかには、もっとおもしろい経験をした人もいる。ある大きな家にまぎれ込んでしまって、
「其家ノ様子ヲ見ルニ、常体ノ商家トハ大ニ異ナリ、依テ楼上ヲ見シハ、年齢十六七ヨリ廿二三迄ノ婦人ノミ集テ何ヤラ唱歌ス、其女子又平人ヨリ風俗アシク見エ、依テ諸同遊初テ疑ヲ発シ・・」
あわてて聞くと、これはホアハウス(妓楼)というので、一同大いにおどろき、暫時たりともこの家にあるときはその罪重かるべしと、ほうほうの態で逃げ出す。
これは福島 義言の「花旗航海日誌」に出ている。