ここで、ペリーのことにふれておこう。
ペリーが再度来航したのは1854年で、このとき日米修好条約が結ばれた。
その第一条は、
……日本と合衆国とは其人民永世不朽の和親を取結び場所人柄の差別無き事
となっている。
日本とアメリカの最初の条約の冒頭に、国籍や人種の違い、つまり差別をしてはならない、ときめられていることはやはり感慨深い。
ペリーは、幕府当局に汽車の模型、ダゲレオタイプの写真機、電信機一式、時計、望遠鏡、測量器具などを寄贈した。幕府側は返礼として、漆器、反もの、陶器類を送ったが、このプレゼントの交換も日本とアメリカの違いをたくみに象徴している。
模型ではあったが、ペリーの贈った汽車や、写真機、電信機、時計、望遠鏡、測量器具などは、まさに先進国のものだった。だが、現在、日本の鉄道は、世界で最高の正確さ、速度を誇っているし、写真は日本が完全にアメリカを越えている。時計や通信機器、はては宇宙衛星の利用による測量技術、ハイ・テクノロジーの面でも、日本はアメリカに劣らない。記憶素子の生産についても、日本は、アメリカを凌駕しようとしている。これもまた感慨深いものがある。