作家の富士 正晴が、「文学」(1967年2月号)に書いたエッセイがある。
十何年か前になると思うが、当時「近代文学」の編集を手伝っていた中田耕治と東京の多分、神田のどこかで出会った時、中田耕治が笑いながら「VIKINGと近代文学とどっちが後までつづくとおもいますか」とたずねた。わたしは「それはVIKINGやね」と答えた。「何故ですか」と中田耕治が更にたずねたかどうかは忘れてしまったが、もしたずねたとしたら、「VIKING」が「近代文学」より無思想で、ずぼらであるからだと答えたかも知れない。
とにかく中田耕治ははなはだ疑わしそうな微笑を浮べ、わたしの顔を見おろしながら「どうですかね」といった。中田耕治は「VIKING」が「近代文学」がもう任務は終ったという宣言と共に廃刊になった後もつづいて出るなどということは想像しなかったと思う。
このエッセイを読んだとき、私は少しとまどった。富士 正晴が、私のことをこういうかたちで記憶している。富士 正晴が書いたのだから誰でもこの記述を信じるだろう。
困ったなあ、と思った。しかし、反論するほどのことではないし、それっきり忘れてしまった。
2003年1月、思いがけない人から手紙をいただいた。中尾 務という方で、富士 正晴の研究家だった。
手紙の内容は――中田 耕治が富士 正晴に、「VIKINGと近代文学とどっちが後までつづくとおもいますか」と訊いた時期、場所を教えてほしい、というものだった。
この手紙を読んだときは、ほんとうに驚いた。
(つづく)