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 暑い夏の一日、井上 篤夫君と話をした。

 それまで貞節だと思われていた「戦後」の女優、イングリッド・バーグマンが、夫を捨て、イタリアの映画監督、ロベルト・ロッセリーニのもとに奔ったため、世界中のジャーナリズムから非難された。
 このとき、作家、アーネスト・ヘミングウェイがバーグマンに手紙を送った。

 JFK記念図書館が、最近、この手紙を公開したので、井上君がさっそく私に見せてくれたのだった。
 この手紙をめぐっていろいろと語りあったのだが、話をしているうちに、私はいろいろなことを思い出した。

 映画スターという名のアイドルは、通俗小説のヒロインにはなっても、忌まわしい犯罪などに関係するはずがないと思われてきた時期がある。
 映画スターはスクリーンの上に君臨してきたが、そのためさまざまな神話や伝説が生まれた。そうした神話や伝説を身にまとうことで、スターはスターであり得た部分もある。
 やがて、観客の側のいわば身勝手な想像と、生身のスターの虚実の差は、たとえば犯罪事件によって、はっきりあらわれてくる。
 スターは、まさに人間のかたちをとった神々として崇拝されてきた。こうした聖性(サントテ)は、現実のスター自身が不思議に思うようなたくさんの人格の混合からあらわれる。つまり、観客によって作られながら、逆に観客自身の何か、ときには運命さえも支配する現実的な力なのだ。こうした二重性は、ほとんど背理的なものだった。

 ルドルフ・ヴァレンティノやジェームズ・ディーンのように、死んでしまってからも不死の存在になった俳優もいる。ガルボのように生ながら神話的な存在になった女優もいた。クラーク・ゲーブルやジェームズ・キャグニーのように、ときには人間を超越した半神的な存在になったりする。