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中世の騎士、オリヴィエは、日頃、自他ともに認める精力絶倫の男性だった。どれほど絶倫だったか。一度の性行為で、百回は果たせると豪語していた。

 その噂を聞いたカルル大帝は、さっそくオリヴィエを召し出して、噂が事実かどうか、ご下問あそばされた。騎士はもとより事実であると答えた。たまたま、うら若い処女の身ながらこの席に列していた大帝の皇女がこれを聞いて、それが事実かどうかたしかめてみよう、ついては姫御前みずからが相手をつとめよう、と仰せられた。
 ただし、それが事実にあらざるときは、死罪をもってむくいるがよいか、と姫御前が仰せられた。
 騎士において、もとより、いなやはない。

 さて、ふたりはさっそくに一儀に及んだ。
 結果は、さしもの騎士も、三十回でついに降参した。

 姫君は、もとより恍惚としてひたすら陶酔していたため、これほどの男にめぐり逢うたしあわせを失う気はなかった。
 父、大帝が、オリヴィエ殿の噂ははたして事実なりしか、とご下問あそばされたとき、姫は婉然たる風情で、騎士殿の噂はもとより事実で、百回に及んだと答えて、父をあざむいた。

 こういう民話から何が見えてくるか。
 素朴なかたちだが、中世の男性の性的エネルギーに対する称賛はもとより、女性の処女性に対する攻撃の正当性、性を磁場とする女のオーガズムに対する(男の)期待が見られる。
 そして、オーガズムはあくまで膣=ペニスの結合の回数に支配されるものとして考えられていること。
 まだ、いくらでも考えられることがある。みなさんが考えてください。

 ヒント。自分が実際にセックスしていることと、自分がしていると思っているセックスの違い。