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萩原 朔太郎は音楽に造詣が深かった。ベートーヴェンの『月光』や、グノーの『ファウスト』などを聞いていた。

 「外国文芸に私淑し、洋画の心得があり、自ら新しいと称して居る最も進歩的の青年の仲間でさへも音楽に対しては驚くべき程鈍感無智である。」
 と書いている。

 私は『ショパン論』を書くことで批評の世界に入ったが、それ以後の音楽遍歴はごくありきたりのもので、とても音楽に造詣が深いとはいえない。好きな音楽、とくに好きな歌手にぶつかると、その人のものばかり聞いてきただけで、趣味も音楽鑑賞などではなかった。
 たしかに私は「外国文芸に私淑し」てきたが、「洋画の心得が」あるともいえない。朔太郎のいう「洋画」はむろん美術をさしているが、映画の「洋画」ならいくらかくわしい程度だろう。

 私たちは、朔太郎とは比較にならないほど音楽について知識をもっている。しかし、「最も進歩的の青年の仲間」の無知を嘆く詩人の内面の悲しみをもってはいない。