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(つづき)
 さて、いよいよ最後のテストだが、8)「身だしなみに無関心になる」というのも、ボケのはじまりなのか。
 私はまるで身だしなみに関心がない。最近はさすがに着なくなったが、大学の講義はジーンズにアメリカ軍放出のアーミー・ジャケットで押し通した。
 講師控え室には顔を出さなかった。私のような講師はいなかったから。

 私は思い出す。
 戦後すぐに、定年で東大を退任した歴史の教授が私の大学に移られた。渡辺 与助先生である。痩せこけたご老体であった。
 戦後すぐのことで、ヨレヨレの中折れ帽子に、色褪せた上着、縞のズボンはツンツルテン。ズボンのすそと靴のあいだが10センチも離れていた。身のこなしがおかしくて、どう見ても無声映画のキーストン喜劇に出てくるような老人だった。
 いつも分厚な本や資料を数冊、小わきにかかえて、前にツンのめりそうな足どりで、本郷から駿河台までお歩きになっていた。電車賃を節約なさっていたという。
 私は歴史の専攻ではなかったので、直接に先生の講義を受けたことはない。しかし、この先生の著作も少しは読んでいた。
 だから駿河台の坂の途中で、先生を見かけると、いつも挨拶した。
 むろん、学生の私に見覚えがあるはずもない。
 渡辺先生は帽子をつかむと、真上にヒョイっとあげるだけで、そのまま研究室にいそがれるのだった。

 身だしなみに関心をもつ時間も惜しんで研究に没頭していた先生の姿は、戦後の学生だった私に、ほんとうの「学者」のありようというか、あらまほしき姿を教えてくれたといっていい。

 私はボケたせいで身だしなみに無関心になることはない。そもそも、はじめから関心がないのだ。

 さて、9)だが、目下のところ、私は「外出が億劫になる」ことはない。毎日、食料品を買いに行く。ときどき映画を見に行く。芝居は見たいけれど、チケットがなかなかとれないので、はじめから見に行かない。外出しても楽しいことはない。それでも神田の古本屋はまだ歩いている。

 もし、きみたちがどこかで私を見かけたら声をかけてほしい。もし、私が「ボケ」ていたら、さっそく近くの喫茶店に誘ってコーヒーの一杯でもふるまってくれればありがたいのだが。