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このほど東京芸術大学は、創立120周年を記念して、芸大ブランドの油絵具を販売した。(’07/5/8)「油一「(ゆいち)という。
 大学の技法材料研究室と、「ホルベイン」が5年かけて開発したもの。

 東京美術学校に西洋画科が設立されたのは、1896年。
 当時、黒田 清輝は、日本人の頭脳で調合した絵具を、日本の画家が使って、はじめて日本人の油絵ができる、と考えたが、これは実現しなかった。
 ある時期まで、たいていの画家は「ルフラン」を使っていたはずである。

 私は、ある時期、絵を描いていた。むろん、絵と呼べるほどのものではない。
 小説を書いたり、評伝を書いていると、どうしても気分転換が必要になる。絵もその一つ。
 絵とはいえないようなものを描くだけでもたのしかったので、つぎからつぎにデッサンやクロッキー、はては油絵、アクリル画を描いた。描いては棚に放り込んでおいた。それっきり忘れてしまった。かなり経ってひっぱりだしてみたところ、驚いたことにほとんどの絵に亀裂が入っていた。
 油絵具について何も知らなかったせいだった。くやしいので、絵は全部焼き捨てた。それからは、登山に熱中したため、油絵を描く時間もなくなって、たまに水彩を描くようになった。

 絵具は、その国によって色彩がずいぶん違う。私は、一時、中国の水彩絵具を愛用したが、青、赤などの色が、私の色彩感覚とはまったくちがっていた。
 そんなことから、中国の絵画にも関心がひろがっていった。