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 女のゆかしさ。こんな一節を見つけた。

   後朝(きぬぎぬ)に、階段の下までようやく送りに出ながら、わきを向いて「また、きてくださいね」などと挨拶する。
   それだけならまだしも、夜更けに、若い衆が客を門から送り出すとき、客が出たとたんにカラカラとくぐりを閉めて、ピンと錠をおろす。なんともすげない音。
   そうかと思えば、客を見送りに階段の下まて降りながら、
   「じゃあね」
   などと声をかけて、客が外に出るのも待たず、バタバタと二階にかけあがるような、つたないやりかたでは、客がまたきてくれるはずもありません。
   こうしたことを、よくよく考えて、客をとりあつかうべきでしょう。
   客がお帰りになるときは、表まで出て、その行方を見てあげる。じっとうしろ姿を見つめていれば、表まで見送られた客も気もちよくふり返って、お女郎が立って見送っている姿に、心もうきたってお宿に帰るものです。その姿が眼に残って、しばらくしてまた遊びにきてくれるものです。
 
 これが女のゆかしさ。「三浦屋」の花魁、「総角」のことば。
 いまどき「総角」のような女がいるはずもないが。

 いまの女は後朝(きぬぎぬ)のふぜいなどということばさえ知らないだろう。

 「是等のことをよくよく思ひやり取扱ふべき事也」。この、本人の心構えがゆかしい。つぎに、同輩、後輩に対する気くばりがゆかしい。