昭和初期。
保田 与重郎にいわせれば――「昭和初年より数年にわたる期間の情態は、破壊といへない崩壊であり、慰戯ともならぬ浅薄な甘さへの堕落」の時代ということになる。
そこで「慰戯ともならぬ浅薄な甘さへの堕落」の例として、新興芸術派の作家たち、龍胆寺 雄、中村 正常、吉行 エイスケなどを読んでみた。べつに「破壊」も「崩壊」も見られなかったし、「浅薄な甘さへの堕落」といったところで、なんとも可愛らしいものだった。
そこで、もっと通俗的なものとして、大泉 黒石、生方 敏郎、奥野 他見男などを読んでみた。保田 与重郎はこうした作家たちを読んだこともないだろう。
ある長編の書き出しのシーン。銀座のまんなかで、ある作家が若い女性に「ピタリと逢った」。
「ヨー春ちゃん」
「あらッ」
「暫くだねえ」
「ほんとに久濶(しばらく)、どちらへ?」
「なァに銀座の夜の気分を味はひにさ、君は?」
「あたし? 矢っ張り左様(そう)よ、買物旁々(かたがた)」
「女の夜遊びは曲者だぞ」
「大丈夫よ、私だから」
「その私があんまり綺麗だから危険だて」
「他見男さんは私の顔さへ見ると綺麗だの美しいだの仰言(おっしゃ)るけれども駄目よ私も。二十二ぢゃお婆さんぢゃないの」
この「春子」さんは、今年、女子大学英文科二年生。「麗質玉の如く鮮かに且つ美しい」らしい。
ほう、「昭和初年より数年にわたる期間」の先端的な女性は、(内心ではそう思っていないのに)22歳で「お婆さん」という自意識をもっていたのか。
むろんジョークだが、むしろ、これは若い娘のコケットリー、あるいは羞恥として見たほうがいい。
保田 与重郎などが読んだところで何がわかるはずもない。