ある日、詩人のリルケはワイマールを訪れた。
彼が泊まったのは、いかにも古風な趣きで、昔のワイマールふうのたたずまいをもっていたなんと「象」とい名のホテルだった。同行したのは、バイエルンの王家につながる名流の公爵夫人。
ホテルからの散策に、ふたりは「ゲーテ・ハウス」をえらんだ。そこまで行って、ゲーテの園と呼ばれるひろい公園に出る。
ところが、一天にわかにかき曇り、はげしい風が起きた。暗い並木が突然のあらしに揺れて、奇怪な姿に見え、くろぐろとした影になって、ぼうっと灰色の光のなかに浮かぶ。空は巨大な雲がちぎれちぎれに疾走して行く。しかも、リルケたちの周囲に、もうもうとした白い霧が立ちこめてきた。リルケたちは、森のなかで迷って、ワイマールに引き返す道がわからなくなった。
さらに、はげしい夕立が降りはじめたので、途方にくれたとき、近くにぼうっと人の姿が三人を認めた。リルケは、いそいでその三人にめがけて走って行った。
まもなく、リルケはあきれたような顔で戻ってきた。
「われわれは、どうもキツネに化かされたらしいんだ」リルケは叫んだ。このとき貴婦人はギョッとしたに違いない。
「てっきりワイマール人だと思って、ひとり目の男に近づいてみたら、黄色い顔に、切れ長の眼があらわれてきた。声をかけても返事をしない。ふたり目の男を向くと、こっちもやっぱり黄色い顔で、これまた口をきかない。三人目の男に近寄ってゆくと、これまた、まぎれもない日本人なんだ。それで、道を聞いたら教えてくれたけれど、いったいこの日本人たちは、ワイマールで何をしようっていうんだろう。木立は、あんなに妖異な姿をしているのに、幽霊のような彫像がたった一つ立っているだけのこの庭園の霧のなかで、生きているものといえば自分たちだけなのに、どうしてあんな人たちが突然あらわれてきたのだろう」
タクシス公爵夫人の回想では……
自分たちの生活にかかわりのない、異国人の夢のなかに私たち(リルケとタクシス夫人)がうっかりまぎれ込んでしまったのだ、という。
その異国人の夢というのは--どうやらヨコハマで深い眠りについているサムライの夢だろう。
リルケは笑いだしたが、いくら夢でも、ワイマールと遠い日本では、場所柄も雰囲気も違いすぎる、と反論したらしい。
こんな話から、当時のヨーロッパ人の日本理解の程度がうかがえるのだが、このときリルケがことばをかわした日本人は誰だったのだろうか。
じつはこの三人、ドイツ留学中で、ひとりはのちに世界的にしられ、アフリカで黄熱病でたおれた人物(私たちも紙幣で彼を見ている)、もうひとりは、後年、日本ではじめて物療内科をはじめた偉大な学者、もうひとりは栄養学が専門で、これも世界的な発見をした学者になる。……
……という短編を書こうと思ったが、私の力ではとても書けなかった。