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「雨の国の王者」さんへ。

前にも書いたように、私のミステリー作品など誰の興味も惹かないだろう。そう思っていただけに、きみのように奇特な読者にはほんとうに感謝している。

小説を書きながらジャズを聞いていた。というより、ジャズを聞いていれば小説が書けた。ジャズ喫茶に立ち寄って、アルテックか何かのスピーカーで、パーカー、コルトレーン、マイルズ、ドルフィーをガンガン聞きながら、短編を書きとばしていた時期もある。
書きおえると、そのままバーに直行する。そんな生活だった。

別のことを思い出した。当時、小さな劇団で演出していた。
たまたま友人の戯曲を演出している途中、稽古場に電話がかかってきた。その日の稽古でどうにもむずかしい部分があって、私もあせっていたのだった。初日を間近にひかえていろいろ演出を変えてみたがどうもうまく行かない。電話がかかってきたので、稽古を中断して電話に出た。埴谷 雄高さんからだった。埴谷さんのお話によると、「近代文学賞」という小さな文学賞を私がもらえるらしかった。
「思いがけないことですが、ありがとうございます」
私はこたえて、すぐに稽古場にもどった。そのまま黙って稽古を続けた。
夜も稽古をつづけた。やっと稽古が終わってから、みんなに文学賞をもらうことを告げた。稽古中に私がどなりつけたり、文句ばかり並べていたので、すっかり落ち込んでいた役者たちが、とたんに、うきうきした気分になった。拍手が起きた。それまでうかぬ気分だった私もきゅうにうれしくなって、買ったばかりのコルトレーンを女優さんのひとりに、あっさりくれてやった。
その晩、近くの酒場でワイワイやっているうちに、こんどは私をさがしていた別の編集者につかまって、逃げるわけにもいかず、徹夜で短編を書いた。
コルトレーンを聞きながら書きたかったのに。
いや、もっとほんとうのことをいえば、コルトレーンを進呈した彼女と……つもりだったのに。……(笑)

「雨の国の王者」さんの質問のおかげで、つい、ろくでもないことを思い出してしまった。きみのメールも思い出も楽しかったけれど。

「風のバラード」という短編。これはどの短編集にも入れず、のちに中島 河太郎編のアンソロジーに入れてもらった。私としては気に入っている短編。

私はそういう作家、そんな程度の作家なのだ。
さればこそ、「中田耕治書誌」などこの世に存在すべきではないと考えているので、あしからず。