521

明治末期から大正にかけて、投稿雑誌が多く出ている。女性雑誌でも、「女子文壇」とか「文章世界」などに、たくさんの女性が投稿している。
そのなかから、やがて作家、歌人になった人も多い。

こうした投稿雑誌は、昭和に入ってからもつづいている。戦時中、紙の不足から不要な雑誌が強制的に廃刊させられたり、おなじ分野の雑誌の統合が行われるまで、つづいていた。
私も中学生になって投稿するようになった。

はじめて詩のようなものを投稿した。優秀、秀逸、佳作、選外佳作とわけて、五、六編がならんで、雑誌に掲載される。翌月号に、選者の短評がついて、私の作品がトップに出ていた。選者は、当時有名だった作詞家で、私はその人の名前をおぼえた。

うれしい、と思ったかどうか。むしろ、自分の書いたものが活字になったことが不思議だった。活字になると、とても綺麗だが、よそよそしい気がしたのだった。
たしか二円程度の図書券か何かもらったとおぼえている。それがうれしかった。

やがて別の雑誌にも投稿するようになった。ずっと後年になって、友人の小川 茂久もそうした雑誌に投稿していたことを知った。いつも小品を投稿していた、という。
小川 茂久は、大学の同期で、のちに明治の教授としてフランス語を教えていた。私も講師になったので、週に一度、顔をあわせると、近くの居酒屋で飲む。親友はありがたいもので、黙って酒を酌みかわすだけで楽しかった。

小川が投稿していたことを話してくれたとき、私はすぐに思い出した。
「そういえば、おまえの書いたヤツ、読んだような気がする」
私がいうと、小川はケッケッケと笑った。
「おれもおまえの書いたヤツ、読んだよ」