せっかく同窓会の通知をもらっても欠席する。
昨年、大学で同期だった人から通知をもらって出かけた。これが最後の同窓会という。もう残っている人も少ない。久しぶりに会ってみると、みんなおじいさん、おばあさんになっていて、街ですれ違ってもわからないだろう。
あらためて自己紹介をしなければ、お互いにわからなくなっていた。顔を見ているうちに、少しづつ思い出したが、名前を聞いても思い出せない人もいた。
みんながそれなりに人生の経験をへて、現在にいたったに違いない。しかし、半世紀も会っていないのだから、経歴を聞かされても、どういう仕事をやってきたのか、どういうふうに、それぞれの老いを過ごしているのかまるでわからない。
出席している人々も、私がどういう仕事をしてきたか知らない。
欠席者も、ほとんどが病気が理由で出られないという。
共通の話題は、教えをうけた教授たちのこと、同窓会に出られなくなった同期の誰かれのこと、家族のこと、とくに孫たちのこと。あとは、自分の病気のこと。
私はろくに教室に出なかったので、そうした話題に興味がなかった。同窓会に出られなくなった、つまり亡くなった誰かれのこともまるで知らないのだった。
どうせお互いに孤独なのだ。わざわざ同窓会に出ておのれの孤独を思い知らされるなどというのは私の趣味にあわない。