ある新聞の「人生案内」にこういう投書があった。
80歳男性。若いころは、就職も思うにまかせず、人里離れた土地で、養鶏の仕事をしていました。恋をしたこともなく、20年以上一人暮らしを続けました。
しかし時代とともに、採算が取れなくなり廃業。町に出て、商家の物置を借りて住みました。どぶ掃除などのアルバイトをしながらのその日暮らしでした。
そんなとき、ある女性と知り合い結婚しました。仕事も得て、44歳で子どもにも恵まれました。楽しい生活でした。しかし、子どもは5歳のとき海で水死してしまいました。夫婦で悲嘆のどん底に陥りましたが、何とか立ち直り、生きてきました。
その妻も3年前に亡くなりました。最近死にたくなってきました。健康診断を受けると、「あと20年は生きられる」と言われました。
でも目はだんだん見えなくなり、耳も次第に聞こえなくなっています。散歩は楽しみですが、他に趣味はありません。これからどうして生きていこうか迷っています。
三重県の老人の投書であった。(06.11.14.「読売」)私は、この短い文章に心を動かされた。
老年の孤独がまざまざと感じられたからである。
若いころは、就職も思うにまかせなかったというのは、おそらく「戦後」の激烈な混乱のなかで、就職したくても就職できる状況ではなかったのだろう。
都会には空襲で焼け出された人たち、敗残の復員兵があふれ、道義は地に落ちて、巷にはヤミ、誰もが犯罪におびえきっていた。庶民はタケノコ生活、若い女たちはストリップ。戦前のエログロなど比較にならないすさまじい時代になった。
「欲しがりません、勝つまでは」は「とんでもハップン」で、どこを見ても「てんやわんや」と「やっさもっさ」の時代だった。
私の大学の同期でも戦後になってから自殺した者が二、三名いるし、ヤクザになって惨殺された者もいる。
戦後、人里離れた土地で、ひっそりと養鶏の仕事をしていた若者の心情も、私には想像できるような気がする
この「人生案内」は、おなじ世代の私にさまざまな波紋をなげかけた。
(つづく)