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晩年の宮さんの日記には、私がしばしば「登場」する。自分でも不思議だが、およそ社交的でない私が宮さんに親しくしていただいたのは、おたがいにヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーに関心があって、宮さんが私に好意をもってくれたからだった。
宮さんは完全な「西欧派」だった。何であれ、ユーロピアンを基準にする。日本の俳句などにまったく関心をもたなかった。
「夜。われパリを愛す! この都の魅力に酔どれのように毎日パリを夢みる。やっぱりいいものはいい。」
晩年の宮さんにとって、パリはひたすら憧れと愛情の対象であり、文学、芸術、すべての美の基準なのだった。『パリ詩集』を読めば、宮さんの「パリ」がよくわかる。
フランスの美女のモデルが出ているというだけで、わざわざ新刊の雑誌を私に送ってくれたりする。
そのくせ、女優ではジュリア・ロバーツが大好きだった。これも、わざわざ私のためにジュリア・ロバーツのビデオを送ってくれるのだった。
シャンソンではマリアンヌ・フェイスフル。

私が、マリアンヌとミック・ジャガーの話をすると、眼をまるくしていた。

大阪の同人雑誌作家が、宮さんを天衣無縫の作家と批評したとかで、さっそく自分の日記を「無縫庵日記」とつけた。私は宮さんを天衣無縫の作家とは思わない。ただ、こういう無邪気なところが好きだった。