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若い頃の父は登山やスキ-に熱中していた。冬になると、小学生だった私は、毎週、父につれられて、日帰りで作並、鳴子、八ッ森といったスキ-場に行った。土日には、山形側の蔵王高湯のゲレンデから地蔵の樹氷まで山スキ-。
当時としては、めずらしいウィンタ-・スポ-ツで、小学生にはむずかしいコ-スだった。樹氷の中で、ガスに巻かれて、遭難しそうになったこともある。
私にスキ-、スケ-トを教えてくれたのは、小学校で担任だった壺 省吾先生だった。壺先生はスポ-ツ万能で、後年は東北の体育関係の組織の会長などを歴任なさった。
帰りは、たいてい壺先生をリ-ダ-に、父の同僚、それに小学生の私。数名のチ-ムで、蔵王からいっきに麓の山の上(やまのかみ)のバス停まで滑降する。

後年の私が、中年過ぎて登山に熱中したのも、壺先生や父の影響だったかも知れない。
(つづく)