1925

外出自粛を続けている。わが家の近辺ばかりでなく、通りに通行人の姿はない。車も通らない。まるで、戒厳令が布かれたような状態。

正岡 子規が、「歌よみに与ふる書」で、旧派の和歌を攻撃して四年後に、金子 薫園、尾上 柴舟編の「敍景詩」が出ている。
この時代に、どういう小説が読まれていたのか。明治35年、小杉 天外の「魔風恋風」、幸田 露伴の「天うつ浪」、永井 荷風が登場する。
旧派の和歌は、どういうものだったか。子規と対立していた歌人たち、現在ではもはやその存在も忘れられた歌人たちのもの、その敍景詩を読む。

朝の鳥に聞け、朝の雲に希望を歌ひ、夕の花に運命をささやくにあらずや、谷の流に見よ、みなぎる瀬には、喜の色をあらはし、湛(たた)ふる淵には、夏の影をやどすにあらずや。

金子 薫園、尾上 柴舟編の「敍景詩」の序文の書き出し。明治35年の美文。

 

なにごとか御堂の壁にかきつけて 若きたび僧はなふみていにし    河田 白露

読経やみて昼 静かなる山寺の 阿伽井の水に花ちりうかぶ      朽木 鬼仏

誰(た)が墓にそなへむとてか花もちてをさな子入りぬ ふる寺の門  平井 暁村

一すじの砂利道ゆけば右ひだり 菜のはなばたけ 風のどかなり    須藤 鮭川

かりそめに結(ゆ)ひし妹があげまきの髪のほつれに春のかぜ吹く   みすずのや

行き行きてつきぬ山路のつくるところ 白藤さきて日は斜(ななめ)なり 川田 露渓

こういう短歌から、明治中期の風景を想像する。もはや失なわれた風景を。
なぜか、なつかしい風景に見える。
なつかしい風景を詠んだおだやかな敍景だが、今の若い世代にはまったく想像もつかない風景だろう。まして、コロナ・エピデミックのさなかには。

この「敍景詩」の歌人たちの誰ひとり、現在に名を残さなかったといってよい。
編者の金子 薫園にしても、昭和ならいざ知らず、現在、知る人はほとんどいないだろう。
武山 英子の一首をあげておく。

几帳(きちょう)たれて中宮ひとりものおぼす 里の内裏にむらさめのふる

武山 英子は、薫園の実妹である。

尾上 柴舟は、前田 夕暮、若山 牧水の師として知られている。

正岡 子規は、この「敍景詩」の出た翌年、亡くなっている。

コロナ・パンデミックのさなかに、明治の「敍景詩」を読む。
酔狂な話だが。