1897

私は、あい変わらずキャサリン・マクフィーのファンである。ただし、キャサリンは、日本ではほとんど知られていない。残念ながら、このまま知られずに終わるかも知れない。
キャサリン・マクフィーはTVミュージカル、「SMASH」に主演して、「マリリン・モンロー」を演じた女優。このときから彼女に注目してきた。

たとえば、「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥ・イージリー」というジャズ・クラシックがある。
タイトルは「惚れっぽい私」と訳されていて、それなりにいい訳だと思う。

ジャズ・スタンダードだが、ふつうのシンガーが歌うと、いかにも「惚れっぽい私」といった蓮っぱな女の、けだるい、安っぽい女の歌になる。

キース・ジャレットがこの曲を演奏すると、そうしたいじましさが消えて、なんともいえない優雅さがあらわれて、しかも、「ついムキになるのよね、私って」とつぶやくようなおんなのあやしいムードが立ちこめてくる。

キース・ジャレットの「スタンダーズ」に選ばれている「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥ・イージリー」を、たまたまキャサリン・マクフィーが歌っている。

キャサリンを聞いたとき、おや、これは、と思った。

これを聞きながら、現実に恋多き女、キャサリン・マクフィーの人生を重ねてしまうのだが、しかし、キャサリンの「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥ・イージリー」は、キースの演奏に劣らない魅力があふれている。このことは、現在のキャサリンが、ついに「スタンダード」を歌う段階に達したことを意味する。image

キャサリンの前作、「ヒステリア」のラテン・テイストに、つい失望したことも影響している。

このアルバムを聞いたとき、キャサリンも、人並みにスタンダードを歌うようになったのか、という感慨があった。少し落ち目になったミュージシャンが、人気回復のために安易にスタンダードを取り上げ、簡単にCDをリリースすることが多い。
しかし、この「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥ・イージリー」は、キャサリンの場合、ジャズ・クラシックへの回帰が、そのまま、自分の「現在」を見つめることにつながっている。
あえていえば、女優として、ミュージシャンとして、さまざまに模索を繰り返してきたキャサリンが、いまや、スタンダードを歌うグレードに達している。

スタンダードを歌うのは、それなりにグレードの高い、品格の高いミュージシャンにしか許されないのだ。
私の考えは間違っているだろうか。