メェ・ウエスト(1892年~1980年)、女優。
5歳でボードヴィルで初舞台。「ベイビー・ヴァンプとして知られた。1926年、ブロードウェイに進出、「SEX」という自作の戯曲を演出、上演。大スキャンダルを起こした。警察は、公然ワイセツの容疑で、10日間、拘束した。翌年、「ドラッグ」という芝居で同性愛を扱い、警察はブロードウェイ上演を禁止しようとした。
美人ではない。しかし、もっともエロティックなスターのひとり。巨乳で、むっちりした肥りじし、いつも男の心胆をふるえあがらせるようなセリフを浴びせる。
ハリウッドに移り、映画で強烈な存在感を見せはじめ、映画のセリフで、セックスや、恋愛について、するどい皮肉やジョークを連発して、検閲や、警察の取締りを揶揄したり、挑発した。セリフは全部、自分で書いた。シナリオも自分で書き直した。
大不況の時代の空気を反映して、メェ・ウエストのセリフは、アメリカじゅうに流布して、大衆に支持された。「ヒトに見られながらヤルより、自分で見ながらヤルほうがずっといいわ」。
「あたしの人生で男の数なんかどうでもいいのよ、あたしの男の人生であたしがどんだけってこと」。
メェ・ウエストは、30年代のセックス・シンボルだった。と同時に、セックス・シンボルとしての自分をパロディして見せる。いまでも残っている名セリフは、「ねえ、いつかあたしントコにきてよ」 Come up and see me sometime など。
1935年、メェ・ウエストはハリウッドで最高の出演料スターだった。
「戦後」、自分の映画のキャリアーが終わったとみて、ハリウッドから引退。
そのまま、ブロードウェイにもどり、ミュージカルの女王になった。出処進退を誤らなかった大スターのひとり。
1962年、マリリン・モンローが亡くなったとき、メェ・ウエストがいった。
女優というものは感じやすい楽器と思われている。アイザック・スターンは、自分のヴァイオリンを大切にあつかっているわ。みんなが寄ってたかって、そのヴァイオリンを足蹴にして、どうするのよ。
メェ・ウエストが、後輩のセックス・シンボルの死を悼んだことば。
「ねえ、あんた、あたしは独身だよ。そんなふうに生まれついてきたからね。結婚なんか考えもしなかった。だって、自分の趣味をあきらめなきゃならないもの。大好きな趣味って――男だからね。」(1979年)
亡くなる1年前のことば。