昨夏、女優のオリヴィア・デ・ハヴィランドが亡くなった。104歳。
東京生まれ。ハリウッドきっての美女だったが、あまり関心がなかった。妹のジョーン・フォンテーンのほうが、もう少し知っている。そのジョーン・フォンテーンとは不仲で、お互いに女優になってから、義絶状態でほとんど交渉もなかったらしい。
大正7年の新聞に、オリヴィア/ジョーンの母親のインタヴュー記事が載っていた。この女性も美人で、バレリーナ、音楽家だった。この記事を調べようと思ったが、コロナ・ウイルスの自粛で図書館にも入れないのであきらめた。
「風と共に去りぬ」、「女相続人」も見なかった。
1934年、女子大生の頃、マックス・ラインハルトの「真夏の夜の夢」で「ハーミア」の役に抜擢された。翌年、おなじ役でワーナーと契約。少女スターになった。(この映画に、ミッキー・ルーニーがいたずらっ児の妖精をやっている。)
ごく普通の美人女優だったから、エロール・フリンの海賊映画のヒロインばかりやらされていた。
「風と共に去りぬ」の「メラニー」をやって、ようやく大スターへの道を歩みはじめる。私たちがオリヴィアに注目したのは「戦後」の「蛇の穴」あたりから。日本で、あまり有名にならなかったのは、「戦後」イギリスの映画や、ヨーロッパ映画に出ることが多かったためだろう。
妹のジョーン・フォンテーンのほうも、はじめはB級映画ばかりに出ていたが、「断崖」あたりから、演技力のしっかりした女優として知られた。おとなしい姉さんと違って、自家用機のパイロット、気球のチャンピオン、マグロ釣り、全米ゴルフ、室内装飾の専門家といった「外向的」な活動で知られた。
この姉妹の仲のわるさはジャーナリズムの話題になったが、おそらく少女時代に両親が離婚したためではないか、と思う。
家族の愛情などというものは、一種の形式的な義務のようなものだ。そんなものを無視してはじめて、そんなものがあることに気がつく。少女時代に両親が離婚したときから、オリヴィアは父に同情し、ジョーンは母親に親しみをおぼえるようになったのかも知れない。
私は、残念ながら、オリヴィア・デ・ハヴィランドのような女優に関心がなかったし、ジョーン・フォンテーンにも女優としての魅力を感じなかった。ただ、オリヴィア・デ・ハヴィランドが、100歳を越える長寿をまっとうしたことに感動した。