1887

デカルトのことば。

コギト・エルゴ・スム。

これは誰でも知っている。

ヴァレリーは、これをいい変えた。

ときに、私は考える。ゆえに、ときに私は在る、と。(「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の補注)

あの謹厳なヴァレリーが、まじめな顔をしてこんなことをいったのだろうか。ヴァレリーの真意をはかりかねたが、あとあと、思わず笑いだした。
そのときから、デカルトのことばを思い出すと、いつもにやにやしたものだ。やっぱり、ヴァレリーはすごい。

これを、「ときどき、私は考える。ゆえに、ときどき、私は在る」、と訳したらどうだろうか。

今の私は、「たまには、私も考える。ゆえに、たまに、私は在るだろう」と考える。

これを読んだ誰かが、あとあと、思い出してはにんまりしてくれるといいのだが。