1886 マルセル・マルソー 3

私はすぐに教室にもどった。学生に本日の授業は中止して、フランスのマルセル・マルソーという役者の公演を「見学」に行く。希望者はこれから私といっしょにすぐに劇場にむかうこと。
学生たちのなかには、そのまま帰ってしまったものもいた。
こうして、私たちはゾロゾロそろって校外に出た。駿河台下から丸の内まで、歩いてもたいした距離ではない。まるで、小学校生徒の遠足のようにうきうきした気分で歩いて行った。

予想した通り、劇場は――多目的ホールといった程度で、小規模のピアノ・リサイタル、あるいは、小編成の管弦楽団の公演などに使われる規模のものだった。

キャパシティーは300。観客席はやっと三分の一程度、閑散とした雰囲気だった。

こんな小さなコヤも埋まらないのか。
私たちが席についてから、しばらくして、女子大生らしい集団がやってきた。おそらく主催者側が、急遽、手配をしたらしい。劇場に華やかな雰囲気がひろがってきた。
この劇場に近い大学、たとえば、共立女子大、文化学院あたりの教務課に連絡したものだろうと私は想像した。劇場は、開演5分前にほとんど埋まった。

こうして、マルセル・マルソーを見たのだった。

イタリア中世のコメディア・デッラルテ以来の伝統芸を身につけた創造的なマイム、ミミックリーだった。この日の私は、スタンダップ・コメディアンではなく、俳優のマイムという肉体表現がどれほど創造的であるかを見届けた。それは、まさにテアトラリザシォンの基本ともいうべきものだった。

どちらが優れているか、という技術上の問題はさておいて、ジャン・ルイ・バローが、夫人、マドレーヌ・ルノーと、一緒に舞台の名優として知られているのに対して、マルセル・マルソーは、いつも単身、ひたすらマイムだけで、人間の残酷さ、冷たさ、おかしさ、笑いを描きだす。

私はそれまで一度も見たことのない「芸」を見たのだった。

チャプリンと、バローの、中間に立っている。フランスのエスプリ。
チャーリーのようにすばらしい喜劇役者のもつ動きと、熱、すばやい反射作用、躍動するトーン。そのなかに、対象とする「ダビデ」と「ゴリアテ」のコントラスト。
私は、その一つひとつに笑いながら、マルセル・マルソーが、笑っているわたくしたちに対する適度なシニスムを感じたのだった。マイムを演じることは、一瞬々々に、その瞬間の自分自身を発見すること。

現在の大型サーフボードほどのボード1枚を立てるだけで、右に「ゴリアテ」、左に「ダビデ」。そのボードに身を隠す。つぎの一瞬に「ダビデ」と「ゴリアテ」が、マルソーの内部において置換する。まるで、吉原の幇間が見せる「芸」のようだ。

しかも、マルソーの内部には、多数の登場人物がいる。
カロの描く絵の女たち、クリシーやその近郊のパリ・ミュゼット。犬を散歩させるブルジョアの奥さん。カーパと短剣で牛に立ち向かってゆく闘牛士。

私は、それまで一度も見たことのない「芸」を見たのだった。サイレント映画とおなじようにことばはない。しかし、まったく無言(ムエット)なのに、その「芸」は、はるかに雄弁だった。
私は、マルセル・マルソーのマイムに感動した。

舞台が終わって、カーテンコールがつづく。
マルソーは、声を出すことはない。しかし、アンコールもマイムで――東京での初日が成功に終わったことに、心からの感謝を表現していた。
観客は心からマルセル・マルソーに称賛の拍手を送った。マルセル・マルソー自身も、東京の初日が想像以上の成功裡に終わったことに感激していたと思う。何度も何度も、拍手にうながされて、最後には満面の笑顔で舞台ハナに出てきて、即興のマイムで観客に挨拶を送った。

おそらくマルセル・マルソーは、東京の初日、無料で招待された観客がほとんどだったことは知らなかったに違いない。むろん、これは私の推量、忖度(そんたく)にすぎないが、主催者側は、前売りのチケットが売れず、思わぬ不入りをマルセル・マルソーに知られまいとして、いわばラスト・リゾートとして、劇場にちかい距離の大学をさがして、観客をかき集めるという苦肉の策に出たものだろう。

当然、このことはマルセル・マルソーにも伏せたのではないかと思う。

後年、ブロードウェイで毎晩のように芝居を見たが、しばしば劇場の前でティケットを売っている若い男女をみかけた。「フリンジ」(オフ・ブロードウェイ)の芝居で、自分たちも舞台に出ている役者たちだったのだろう。
そういう光景を見たとき、私はマルセル・マルソーの東京初日を思い出した。

その後のマルセル・マルソーは、日本でもひろく知られるようになって、二・三度、東京で公演している。私はチケットを買って見に行った。このときのマルセル・マルソーは、世界的に有名なマイム役者になっていた。いつも満員で、劇場が観客を無料で動員することもなかったはずである。

マルセル・マルソーの東京初演のことなど、このブログで書かないほうがいいと思った。しかし、こうして書いておけば、「戦後」の私たちのフランス演劇に対する無知がいくらかでも想像できるかも知れない。
私たちの「戦後」にこんな風景があったことも。