エルンスト・グレーザーの小説を読む気になったのは、第1次世界大戦が起きた時代の、ドイツ側の状況を知りたかったからだった。
緒戦の高揚した気分がさめると、少年たちの世代にだんだん厭戦気分がひろがって、それがユダヤ人種に対する差別や迫害に形を変えて行く。
現在の新型コロナウイルスの感染拡大にそのまま重なるような部分もあった。
戦争のことなど殆ど忘れてしまった。戦死者のおそろしい数字にも慣れてしまった。当然のことだと思ふようにもなった。
ハムを略奪することは、ブカレストの陥落よりも、もっと面白かった。そして一俵の馬鈴薯は、メソポタミアでイギリス軍を全部捕虜にしたよりも、もっと大切になった。戦死は依然として私達の町を襲っていた。牧師は戦死の光栄を歌いつづけた。私達は沢山な寡婦を見るのも慣れてきたが、彼等に会うと、丁寧にお辞儀しながら、その数が増してゆくのにおののいた。
また、一人の婦人が、守備よく夫の死骸を戦地から迎えて、町の墓地に埋葬するような場合には、私達は沈黙と真面目さを装って柩車の後についていった。
私達は個別に訪問して、使い残した僅かばかりの新しく発行された戦時公債に応募するように勧誘状をくばったりした。婦人達はそれに応募した。公債の応募が多ければ多いほど、夫達も早く帰国してくれるだろうと思ったのである。戦争というものは、恐ろしい災厄だということがずっと前からわかっていた。戦線の兵士たちでさえ、負傷したときはうれしがった。もはや、人々の間には、一致団結というものがなくなっていた。飢餓がそれをきれいに破壊してしまった。
誰も彼も、隣人が自分よりも食料品を沢山もっていないか、疑い深い目で詮索した。出征をまぬがれるためにあらゆる手段を用いたものは、ごまかしやと言って嘲られた。けれども、彼等自身がやはり生きていたいからそうしただけだ。
この小説が私の関心を喚び起こしたのは、これが1930年に書かれていることにある。やがて――ドイツに、ナチスが出現する。ヒトラーが、1933年の総選挙で第一党になる。フォン・ヒンデンブルグ元帥は、ヒトラーを首相に任命する。
ミュンヘン・プッチ(一揆)から10年、ヒトラーが合法的に政権を握る。
2020年は、おそらく歴史的に大きな転形期、社会的な激変の時代、気候の変化もふくめて文明の危機さえ予想される時代のはじまりとなる。
エルンスト・グレーザーの小説など、もはや誰も読まないだろう。(ドイツ文学の優秀な翻訳家が改訳して、小説のタイトルを変えれば、まだ読まれる可能性はあるだろうが、そんな人はいないだろう。)