書庫に残っている本をさがして、エルンスト・グレーザーの「1902年級」(Jahrgang 1902)を見つけた。ほかによむものもないので読みはじめた。1920年代の、ドイツ反戦小説。ルマルクの「西部戦線異常なし」とほぼ同時期に書かれたもの。
ルマルクの「西部戦線異状なし」は、昭和4年(1929年)秦 豊吉訳で、中央公論から出た。たしか、翌年、ベストセラーになったもの。翌昭和5年(1930年)には、当局の忌避にふれ、反戦小説として発禁になった。
グレーザーの「1902年級」は、ルマルクの小説がベストセラ-になったので、すかさず翻訳されたと思われる。清田 龍之助訳。昭和5年6月、萬里閣書房刊。7月には6版が出ているので、ベタセラ-になったのか。
この小説は、20世紀初頭に、固陋な学校教育をうけた世代、この時代にティーネイジャーだった世代を描く。
カイザー・ウィルヘルム2世のドイツ帝国の繁栄のかげに、ユダヤ人に対するはげしい差別、蔑視がひろがっている。「私」はユダヤ人の少年と親しくなって、国家、社会の矛盾に目覚めはじめる。この部分はドイツ的な教養小説と見ていいが、おなじ世代のツヴァイクの遺作、「昨日の世界」のほうがずっとすぐれている。
小説の後半は、第1次大戦の体験。西部戦線、ヴェルダン、ヴォーズで、英仏連合軍と死闘をくりかえし、国内には飢餓と爆撃の恐怖から厭戦気分がひろがってゆく。「私」は、恋人の少女の空爆死を見届ける。
この小説について、トーマス・マンは、
非凡な作だ。真理を愛する心と人生を洞察する力とが一貫している。
という。おなじく、エリヒ・マリア・ルマルクは、
洞察力の鋭さはただに文学として価値あるのみならず、我らが時代の歴史として大切な記録だ。
そうな。また、アルノルト・ツヴァイヒは、
この一巻を通読した者はみな一様にいふであらう。何故今までこれを読まないでいただろう。
この本の箱(ブックケース)に印刷されたものをそのまま記録したのだが、私はこの人たちの推薦を妥当とは見ない。作品自体が残念ながらもはや死んでいる。
私がそう思ったのは――日本語訳で読んだせいかもしれない。清田 龍之助の翻訳(昭和5年)がよくない。あらためて、ある時代の文学作品の翻訳のむずかしさについて考えさせられた。
ほとんどの翻訳は、よくいって10年から15年しかもたない。鮮度が落ちる。
読者層も変わってくる。
時代によって、小説の読者の好みが変化すると見ていいのだが、ある時代の一般的な教育レベルによって読者の趣味がどこまで変化するか。
私は、ゆとり教育などという教育方針によって、読書力が低下したと見ている。そういう教育を受けた世代は小説を読む習慣をもたないし、かつての良識ある、よき趣味(ボン・グウ)に目もくれないのは当然で、それまでの読者層が失われたと思う。
チャイナ・コロナウイルスの世界的な感染のさなかに、1920年代の、ドイツ反戦小説を読む。まったく偶然だが、これからの小説、翻訳の可能性まで考えてしまった。