コロナ・ウイルスの災厄が拡大の一途をたどっていた2020年夏。
ミレッラ・フレーニの訃報を知った。84歳。
オペラ歌手としても異例の高齢で、70代になっても歌いつづけていたひとり。
私はミレッラよりもテバルデイやコソットのほうが好きだったが、それでもミレッラはよく聞いた。「ラ・ボエーム」の「ミミ」だけでも10回は聞いた。
ミレッラはマリア・カラス以後のオペラを代表し得たと思う。ともあれ、こうして私たちの生きている船の航路からまたひとりの芸術家が姿を消した。
このブログを書きはじめた頃の私は幸福だったし、けっこう多忙だった。頭の中にはいろいろと書きたいことがいっぱいあった。
ところが、コロナ・ウイルスの感染者数が、世界的にひろがるにつれて、もの書きとしての自分の過去、たいした作品も書けなかった自分の思い出ばかりが気になるようになった。
妻と死別したあと、それに続くごたごた、さらに、私が作家としてなんとかやっていけるようになるまで、私と亡妻、百合子をいつも応援してくれた義姉、小泉 賀江が他界したこと、こうした思い出がひしめきあって押し寄せてきた。
大げさにいえば、寝てもさめても心にひしめきあっているようだった。
いつもそんな状態だっただけに、「SHAR」の仲間たちや、渡辺 亜希子から、ヴァレンタイン・チョコレートをもらったのはうれしかった。
先月、寒中見舞で安東さんのことを知り、本当に驚きました。
安東さんと初めてお会いしたのは、先生の授業の時でした。
大学卒業後はネクサスのイベントでお会いする程度でしたが、前のイメージのままだったので、今回のことは言葉を失いました。中田先生はどれたけショックだったろうと思い、心配しています。(後略)
ありがとう、亜希子さん。本人も不治の病と覚悟していただけに安東君の訃にショックを受けたわけではない。ところが私は安東君追悼の文章も書けなくなっている。
このことのほうがショックだった。
なにしろ老齢の作家なのだから、創造力が枯渇するのは当然というもので、それは仕方がない。しかし、ブログを再開したとき、自分の書くものが、やたらに長いものになっていることにあきれた。かつての集中力がなくなっている。
それに気がついたせいか、このブログも書けなくなってしまった。われながら不甲斐ない次第としかいいようがない。この文章もその例。
毎日、コロナ・ウイルスのニューズを気にしながら、音楽を聞いたり、DVDで、昔みた映画を見直したりしていた。そのため、このブログも、音楽や古い映画のことが多くなっている。
何しろ、新刊の本が読めない。行きつけの古本屋は廃業してしまった。図書館も閉鎖されている。
そんなとき、岸本 佐知子が贈ってくれた、ショーン・タンの絵本や、リディア・ベルリンの短編集、エッセイ集、「ひみつのしつもん」を、何度も読み返した。おなじ著者のおなじ本をこれほど熱心にくり返して読み返したことはない。
ミレッラ・フレーニが亡くなったので、CDを聞いて彼女を偲ぶつもりだが、今日はビデオもCDも探せないので、せめて明日、「椿姫」を聞くことにしよう。