1871

2020年5月。世界経済は悪化の一途を辿っていた。ユーロ圏19カ国のGDPは、前年比、7.7%減の予測。1996年以降、最大の落ち込み。

私は、毎日、おなじような日々を過ごしていた。
本も読むには読むのだが、なにしろ根気がなくなっているので、なかなか読み進められない。
書庫に残っている本をさがして、エルンスト・グレーザーの「1902年級」(Jahrgang 1902)を読みはじめた。1920年代の、ドイツ反戦小説。ルマルクの「西部戦線異常なし」とほぼ同時期に書かれたもの。

ルマルクの「西部戦線異状なし」は、昭和4年(1929年)秦 豊吉訳で、中央公論から出た。たしか、翌年、ベストセラーになったもの。翌昭和5年(1930年)には、当局の忌避にふれ、反戦小説として発禁になったはずである。
この「1902年級」は、ルマルクの小説がベストセラーになったので、すかさず翻訳されたと思われる。清田 龍之助訳。昭和5年6月、萬里閣書房刊。7月には6版が出ているので、ベタセラーになったのか。

この小説は、20世紀初頭に、固陋な学校教育をうけた世代、この時代にティーネイジャーだった世代を描く。
カイザー・ウィルヘルム2世のドイツ帝国の繁栄のかげに、ユダヤ人に対するはげしい差別、蔑視がひろがっている。「私」はユダヤ人の少年と親しくなって、国家、社会の矛盾に目覚めはじめる。この部分はドイツ的な教養小説と見ていいが、おなじ世代のツヴァイクの遺作、「昨日の世界」のほうがずっとすぐれている。

小説の 後半は、第1次大戦の体験。西部戦線、ヴェルダン、ヴォーズで、英仏連合軍と死闘をくりかえし、国内には飢餓と爆撃の恐怖から厭戦気分がひろがってゆく。「私」は、恋人の少女の空爆死を見届ける。

この小説について、トーマス・マンは、

非凡な作だ。真理を愛する心と人生を洞察する力とが一貫している。

という。おなじく、エリヒ・マリア・ルマルクは、

洞察力の鋭さはただに文学として価値あるのみならず、我らが時代の歴史として大切な記録だ。

そうな。また、アルノルト・ツヴァイヒは、

この一巻を通読した者はみな一様にいふであらう。何故今までこれを読まないでいただろう。

この本の箱(ブックケース)に印刷されたものをそのまま記録したのだが、私はこの人たちの推薦を妥当とは見ない。作品自体が残念ながらもはや死んでいる。

私がそう思ったのは――日本語訳で読んだせいかもしれない。清田 龍之助の翻訳(昭和5年)がよくない。あらためて、ある時代の文学作品の翻訳のむずかしさについて考えさせられた。

この小説を読んだのは、第1次世界大戦が起きた時代の、ドイツ側の状況を知りたかったからだった。緒戦の高揚した気分がさめると、少年たちの世代にだんだん厭戦気分がひろがって、それがユダヤ人種に対する差別や迫害に形を変えて行く。
現在のチャイナ・コロナウイルスの感染拡大にそのまま重なるような部分もあった。

戦争のことなど殆ど忘れてしまった。戦死者のおそろしい数字にも慣れてしまった。当然のことだと思ふようにもなった。
ハムを略奪することは、ブカレストの陥落よりも、もっと面白かった。そして一俵の馬鈴薯は、メソポタミアでイギリス軍を全部捕虜にしたよりも、もっと大切になった。

戦死は依然として私達の町を襲っていた。牧師は戦死の光栄を歌いつづけた。私達は沢山な寡婦を見るのも慣れてきたが、彼等に会うと、丁寧にお辞儀しながら、その数が増してゆくのにおののいた。
また、一人の婦人が、守備よく夫の死骸を戦地から迎えて、町の墓地に埋葬するような場合には、私達は沈黙と真面目さを装って柩車の後についていった。
私達は個別に訪問して、使い残した僅かばかりの新しく発行された戦時公債に応募するように勧誘状をくばったりした。婦人達はそれに応募した。公債の応募が多ければ多いほど、夫達も早く帰国してくれるだろうと思ったのである。

戦争というものは、恐ろしい災厄だということがずっと前からわかっていた。戦線の兵士たちでさえ、負傷したときはうれしがった。もはや、人々の間には、一致団結というものがなくなっていた。飢餓がそれをきれいに破壊してしまった。

誰も彼も、隣人が自分よりも食料品を沢山もっていないか、疑い深い目で詮索した。出征をまぬがれるためにあらゆる手段を用いたものは、ごまかしやと言って嘲られた。けれども、彼等自身がやはり生きていたいからそうしただけだ。

この小説が私の関心を喚び起こすのは、これが1930年に書かれていることなのだ。
やがて――ドイツに、ナチスが出現する。ヒトラーが、1933年の総選挙で第一党になる。フォン・ヒンデンブルグ元帥は、ヒトラーを首相に任命する。

ミュンヘン・プッチ(一揆)から10年、ヒトラーが合法的に政権を握る。

私は、新型コロナウイルスの世界的な感染のさなかに、のんきに1920年代の、ドイツ反戦小説、エルンスト・グレーザーの「1902年級」(Jahrgang 1902)を読んでいたのだった。