2020年8月、コロナ・ウイルス・エピデミックの感染状況が拡大している。
先進国では、ワクチン開発をめぐってはげしい競争がおこなわれている。
アメリカは、中国の総領事館(テキサス・ヒューストン)に対する閉鎖命令を出した。中国の総領事館員が、コロナ・ウイルス・ワクチンの情報を窃取する活動に関与した疑いがあるという理由だった。
その手口は、総領事館員たちが、アメリカの大学に研究員として在籍する中国人の協力者たちに対して、窃取すべき機密情報を直接指示していたという。
これに対して、中国政府は、対抗手段として、武漢のアメリカ総領事館の閉鎖命令を出した。
こうなると、アメリカと中国の対立は、決定的なものになってくる。
私は、少年時代に、ヒトラー、ムッソリーニvsチェンバレン、ダラディエのミュンヘン四者会談で、世界じゅうが戦争の予感におびえた時代や、砲艦「パネイ号」の誤爆事件から、日米関係がひたすら悪化の一途をたどり、日毎に緊張の度がはげしくなって行った時代を知っている。
野村海軍大将が、特命全権大使としてワシントンに派遣され、日米関係がいくらかでも改善されるかのように、私たちは期待した。だが、いわゆるハル・ノートをつきつけられて、ついに真珠湾攻撃、太平洋戦争の勃発にいたった時期の、息づまるような悪化の日々を知っているだけに、現在のアメリカと中国の対立に深い懸念を抱いている。
それにしても、アメリカと中国の対立が、コロナ・ウイルス・エピデミックと、シンクロナイズしているというのは、なんという歴史の皮肉だろうか。
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そんなこととは関係がないのだが、コロナ・ウイルスの感染が拡大していた時期、私は身辺の整理をはじめた。
いろいろな原稿が出てきた。読んでみた。いやはや、どうにも挨拶に困るような原稿だった。われながら赤面のいたり。(笑)
こんなものを書いていたのか。まるっきり、意味もない雑文だなあ。よくこんなものを書きとばしていたものだ。
高齢者は、思い出に生きるといわれる。ところが、私の場合、雑文を書きとばしていたということ以外あまり思い出すことがない。だから、昔書いた自分の文章が出てきたりすると、地層のどこかに埋もれていた化石のかけらでも見つけたような、何か異様なものを眺めるような気もちになる。
半世紀以上の歳月をへだてて、かつての自分が書いた、くだらない雑文を読み返すなど、やはり正気の沙汰ではない。
破り棄てるか焼き捨てるほうがいい。
そう思った。
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ところで――
そんな原稿の中に、「文化グラフ」という雑誌に発表したエッセイがあった。「文化グ
ラフ」(1968年12月1日号)から切りとったもので、タイトルがわからない。まさか、ノン・タイトルということはないだろうから、多分、「映画化された世界の名作」とかなんとか、そんな依頼があって書いたものらしい。
「文化グラフ」という雑誌ももうおぼえていない。どんな雑誌だったのか。
なにしろ貧乏作家だったので、執筆を依頼してきた雑誌、新聞の原稿はかならず書くことにしていた。今と違って、携帯はもとよりファックスもスマホもなかった時代だから、大学その他で講義をする日に、大学の隣りのホテルのロビーか、映画の試写を見る日にかならず立ち寄った有楽町の「ジャーマン・ベーカリー」の2階に編集者にきてもらって、原稿をわたすことにしていた。
「文化グラフ」という雑誌の原稿を依頼してきた編集者のことも忘れている。
ただし、68年12月1日に掲載されているのだから、11月初旬には原稿を渡しているはずで、編集者は歳末のあわただしさを見越して、「映画化された世界の名作」などという当たりさわりのないテーマで原稿を依頼してきたと思われる。
このエッセイを読んだとき、拙劣な内容にあきれたが、ふと、現在の老人の目から見て、当時、気がつかなかった論点を見つけ出してみよう、と思いついた。