野木さんは、昨年の五月から、今月中旬まで、一年間、「現代詩手帖」の新人投稿欄の選者をやっていたという。今月の五月号で、選者として最後の役目になる、現代詩手帖賞を決定したのだった。毎年選者二人の対談で受賞者が決定するのだが、今年はコロナのせいで、メ-ル対談となった。
「現代詩手帖」と、もう1冊、野木さんが出している同人誌、「八景」5号。
こちらには、「庭の片隅で」と「乾いた広い土地」の2編と、エッセイが掲載されている。
人の秘密は
空洞があって
空洞を取り囲んでいるものがあって
ときどき 内側から崩れてしまう
私は、「乾いた広い土地」の一節を読んで、すぐに、ああ、そうだなあ、と思った。
この「ああ、そうだなあ」という思いを説明するのは少しむずかしい。私の勝手な連想なのだから。
私は、映画女優、キム・ノヴァクが描いた一枚の油絵、「落ちた王さま」を思いだしていた。
これは父を描いたもの。バックは「化石の森」から着想したの。全身の感覚が麻痺して化石みたいになった男。感覚も情熱も何もかもがなくなった。だから死んじゃったの。
「化石の森」の荒涼たる砂漠と、遠くに燃えさかる赤い炎のような空、放心したように佇む男のまなざしには、希望のかけらもない。私はこの絵をキム・ノヴァクのどんな映画よりも傑作だと思っているのだが、「人の秘密は/空洞があって/空洞を取り囲んでいるものがあって/ときどき内側から崩れてしまう」という野木 京子の詩を読んで、「ああ、そうだなあ」と思ったのだった。
むろん、キム・ノヴァクと、野木 京子にはまったく関係はない。ただ私は、キムの絵を見た感動を、野木 京子のことばを借りて、勝手に言い換えただけなのだ。
私も全身の感覚が麻痺して化石みたいになった男なのだ。そして、私にも、秘密がある。その秘密にはやはり空洞があって、その空洞を取り囲んでいるものがある。
それはもはや、内側から崩れている。
野木 京子は書いている。
この一年、パワフルな若い人たちの、バリバリの現代詩の投稿作を山ほど読み続
けているうちに、自分の詩が書けなくなってしまいました。少しづつ調子を取り戻していきたいと思います。
私も、きみのおかげで、少しづつ調子を取り戻してゆく。