1860

 

香織さん、茂里さん。

きみたちの手紙で、私なりにコロナ・ウイルスの日々や、自分の生きてきた時代を考えてみようと思いはじめた。

ごく大ざっぱにいって――私の世代は、大不況、日中戦争、太平洋戦争、「戦後」、バブル、平成という不毛の「失われた20年」を生きて、ここにきてコロナ・ウイルスの災厄を見なければならなくなった不幸な世代なのかも知れない。

そういえば――きみたちは平成不況からようやく立ち直りかけながら、ここにきてコロナ・ウイルスの後遺症に苦しむ最初の世代ということになる。どちらが、より不幸なのか。

ところで、コロナ・ウイルスの日々、私にとって、おおきな楽しみのひとつは――
きみのあたらしい仕事を読みつづけることだった。

スーザン・イーリア・マクニールの「スコットランドの危険なスパイ」(圷 香織訳)。「マギー・ホープ」シリーズの最終巻。これだけで、442ページの大作。

「スコットランドの危険なスパイ」のヒロイン、「マギー・ホープ」は第2次世界大戦中、イギリス首相、ウインストン・チャーチルの秘書だった。(第1巻)こういう設定の意外性から、まず原作者の驚くべき力量が想像できる。
やがて、「マギー」は、王女、「エリザベス」の家庭教師になる。いうまでもなく、「戦後」のイギリスに君臨する女王、エリザベス二世である。(第2巻)
「マギー」は国王陛下直属のスパイとして訓練を受ける。(第3巻/第4巻)
「マギー」は、戦時中の上流階級のレディとして、ナチス・ドイツの情報機関を相手に死闘を続ける。さらにバッキンガム宮殿の内部に潜入している二重スパイを追求したり、ブンス本土でナチに抵抗するレジスタンスを応援したり。(第5巻/第6巻)

ところが、特別作戦に参加しなかったため、イギリス情報部の秘密を「知り過ぎた」スパイとして、スコットランドの西海岸、それこそ絶海の孤島の奇怪な古城に軟禁される。ほかにも、「マギー」とおなじように有能で、スパイとして活動してきた9名の工作員がこの古城に「隔離」されている。
この孤島から逃亡できる可能性はない。

そして、あらたに一人の工作員が島に送り込まれる。その日から、先住の工作員がつぎつぎに異様な死を遂げる。工作員同志が互いに連続殺人事件の犯人ではないかと疑い、次に血祭りにあげられるのは自分ではないかという恐怖のなかで、「マギー」は、見えない敵に反撃を開始する。だが、誰を目標にすればいいのか。誰が、何のためにつぎつぎと「敵」を葬りさってゆくのか。

私は、スパイ小説が好きで、オップンハイム、ル・キューから、サマセット・モーム、グレアム・グリーン、エリック・アンブラー、さらにはフレミング、ル・カレと読みつづけてきた。

スーザン・イーリア・マクニールの「スコットランドの危険なスパイ」を圷 香織訳で読んだおかげで、コロナ・ウイルスで鬱屈した気分が晴れた。
私としてはパリ潜入のあたりの「マギー・ホープ」にいちばん魅力を感じているのだが。

書評を書くわけではないので、コロナ・ウイルスの日々、毎日、本を読む楽しみをあたえてくれたきみの仕事がありがたかった。

また、いつかきみに会う機会があれは、私なりの感想をつたえたいと思っている。

1859

コロナ・ウイルスの日々。

知人、友人たちに手紙も書かなくなっている。

翻訳家の圷 香織から手紙。私が沈黙しているので、心配してくれたらしい。

「先生を囲んで最後に集まってから、半年ほどが過ぎましたが、あれから世の中がすっかり変わってしまったことに、あらためて目の覚める様な思いがします。」

「あれから世の中がすっかり変わってしまった」という思いは、私もおなじ。もう、これからは、コロナ・ウイルス以前の世界に戻ることはないだろう。

しかし疫病というのは恐ろしいものですね。なんだか怪奇小説の中に入り込んでしまったかのようです。とはいえ、無症状の保菌者がまき散らすことで世界を危機に陥れるウイルスだなんて、フィクションの世界でもちょっと思いつかないというか、リアルではないということで却下されて仕舞うような気がします。やはり、現実は小説より奇なり、ということでしょうか。(中略)
戦争をはじめ、これまでさまざまなご経験をなされてきた先生には、このコロナ騒動がどのように見えているのでしょうか。いろいろお考えがおありかと存じますので、ブログなどでご紹介頂けるのを、いまから楽しみにしております。

ずっとあとで、作家の森 茂里が暑中見舞いをくれた。

この半年余り、SFの世界に迷い込んだような気分です。

 という。そうなのだ。
7月23日、中国の火星探査機が打ち上げられ、予定軌道に乗った。これは、火星軟着陸を目指している。まさに、SFの世界で、その2日前には、UAE(アラブ首長国連邦)が、日本のH2Aロケットで探査機を打ち上げている。
いまや宇宙戦争の蓋然性、可能性が、私たちにつきつけられている。

「ウィズ・コロナ」どころではない。私たちは「なんだか怪奇小説の中に入り込んでしまったかのようで」、まさに「SFの世界に迷い込んだような気分なのだ。

考えただけでワクワクしてくる。

ありがとう、香織さん、茂里さん。

1858

コロナ・ウイルスの日々。「世に飽きし無聊のため」ではなく、暇にあかせて、読み散らした詩の一節。

   獨往 路難盡   どくおう みち 尽きがたく
窮陰 人易傷   きゅういん 人は いたみやすし

唐の詩人、崔 署(さいしょ)詩の一節。この人については、何も知らない。しかし、この思いはいまや切実なものとして、私たちに迫ってくる。

無謀を承知で訳してみた。

     さすらいの 一人旅
冬の終わりは ひたにしみる凍て

やっぱり、私には訳せない。

さて、暇つぶしならポップスの歌詞でも訳してみようか。キャサリン・マクフィーの歌をききながら、そんなことを考えた。キャサリンのために、コール・ポーターや、サミー・カーンぐらいなら訳せるかも知れない。

1857

コロナ・ウイルスの5月にふさわしくない詩を。

LA NUIT DE MAI

LA MUSE

Poète, prends ton luth et me donne un baiser ;
La fleur de l’églantier sent ses bourgeons éclore,
Le printemps naît ce soir ; les vents vont s’embraser ;
Et la bergeronnette, en attendant l’aurore,
Aux premiers buissons verts commence à se poser.
Poète, prends ton luth, et me donne un baiser.

アルフレッド・ド・ミュッセ。
「五月の夜」の LA MUSE(ラ・ミューズ)。冒頭の一節。

声に出して読むと、五月、おぼろながら、どこかねっとりした風がさわやかに吹いてくる。この詩は、詩人と女神(ミューズ)の対話。リュートは、竪琴(たてごと)。

上田 敏の名訳がある。

うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。
はつざきの はなそうび さきいでて
このゆうべ かぜぬるし、はるはきぬ。
あけぼのを まつや かのにはただき
あさみどり、わかえだに うつりなく
うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。

さすがにいい訳になっている。

ただし、今の私には、どこか違和感がある。ミュッセの詩は、こんなものだったのか。上田 敏訳はたしかに名訳といっていいのだが、なにか肝心のところを抑えていないような気がする。

明治時代の訳だからことさら古びて見えるのか。

うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。

詩人にむかって竪琴(たてごと)を奏でつつ、唇を寄せるがいい、という呼びかけの、いわば肉感性が出せなかったのか。prendsが命令形なのだから、竪琴(たてごと)を手にして恋人の唇を奪えといい切る強さが出せなかったのか。

たとえば――「巷に雨の降るごとく 我の心に雨が降る」というヴェルレーヌの有名な詩を、

都に雨の降るさまに、
涙、雨降る わがこころ、
わが胸にかく泌(しみ)てゆく、
この倦怠(けだるさ)は何ならむ。

と訳した若者がいる。はるか後年、英文学の泰斗として知られた矢野 峰人。これもいい訳だが、最後の部分、私としてはどこか納得できない。

別の訳例をあげようか。(矢野 峰人の訳ではない。)

泉が自分の霊から湧いて出んでは
心身を爽やかにすることができない

明治時代の、「ファウスト」訳。これがゲーテの訳なのか。失望した。

永井 荷風ならどう訳したろうか。

たまたま、荷風が「戦後」(1946年)に発表した「問はずがたり」の冒頭に、ミュッセの詩、1行が掲げてある。

修らぬ行(おこない)は世に飽きし無聊のため、
歎き悲しむ心は生れながら。

これはすごい。私はひたすら感嘆した。「問はずがたり」は、「戦後」の荷風、再出発を告げる作品だったが、石川 淳などの貶降(へんこう)を受けた。今の私は、あらためて、「戦後」の荷風に敬意をもっているが、このミュッセ1行に託した荷風の鞜晦(とうかい)に驚嘆する。

そして、 荷風は詩を訳しても一流の翻訳家だったと思う。

1856

私はなぜ詩を訳さなかったのか。答えは簡単なものだ。

私には語学的に詩を訳す能力がなかった。そもそも詩魂がなかった。

それでも、詩を読まなかったわけではない。当然、好きな詩人はいたが、翻訳しようなどと思ったことはない。好きな詩人といえば、イエーツ、ディッキンソン、シルヴィア・プラス。ただし、たまに手にとってふと口にのせてみる程度。

イエーツの戯曲も好きだが、たとえば、松村 みね子訳を読んでしまうと、イエーツを訳そうなどという不遜な気は起きなかった。また、訳しても出せるはずがなかった。何しろ貧乏だったから、ミステリーの翻訳をつづけるのにせいいっぱいで、詩を翻訳する余裕もなかった。

詩の訳は戯曲の訳よりもむずかしい。これが、私の信念になった。

1855

コロナ・ウイルスの日々。無聊にすごした。野木 京子が送ってくれた詩、詩の雑誌で現代詩を読む。私のような<もの書き>には、めったにない経験で、現代詩を知らないだけに、けっこうおもしろかった。

そういえば、私は詩を訳したことがない。むろん詩を訳したいと思ったことはある。

若い頃、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズを訳した程度。ディラン・トマスを訳したいと思ったが、訳しかけて途中で放棄した。どこにも発表する機会がなかったから。
詩を訳したことがないにしても、詩人に対する敬意は忘れたことがない。もう時効だから、恥をしのんで告白するのだが、詩劇を書いてみたいという、大それたことを思い立って――ワーズワースの詩をもとにして、「ハイランドの乙女」という詩劇めいたものを放送(NHK)したことがある。けっこう本気だったらしく、アーチバルド・マクリーシュの詩劇の模倣を放送したこともある。誰が出演したのか忘れてしまったが、「文学座」の文野 智子や、「ぶどうの会」の若い役者たちが出たことはおぼえている。
まだ、テープの録音などできなかった時代で、エボナイトのディスクに音を刻み込む時代だった。これが、私が芝居にかかわるきっかけになった。

はるか後年、オスカー・ワイルドの詩劇、「パデュア大公妃」を訳したときは、はじめから散文の悲劇として訳した。あとは、拙著「ルイ・ジュヴェ」の中で、ジュヴェが朗読したA・ウィレットの詩ぐらい。
そういえば、マリリン・モンローの詩を訳して「ユリイカ」に発表したっけ。

自分でも気に入っているのは、断片ながら、アルフレッド・ベスターの「虎よ虎よ」の冒頭、ブレイクの詩の一節。
詩ではなく、ポップスの歌詞を訳したことはある。たとえば、ジャニス・ジョプリン。「コズミック・ブルース」。

1854

野木さんは、昨年の五月から、今月中旬まで、一年間、「現代詩手帖」の新人投稿欄の選者をやっていたという。今月の五月号で、選者として最後の役目になる、現代詩手帖賞を決定したのだった。毎年選者二人の対談で受賞者が決定するのだが、今年はコロナのせいで、メ-ル対談となった。

「現代詩手帖」と、もう1冊、野木さんが出している同人誌、「八景」5号。
こちらには、「庭の片隅で」と「乾いた広い土地」の2編と、エッセイが掲載されている。

人の秘密は
空洞があって
空洞を取り囲んでいるものがあって
ときどき 内側から崩れてしまう

私は、「乾いた広い土地」の一節を読んで、すぐに、ああ、そうだなあ、と思った。
この「ああ、そうだなあ」という思いを説明するのは少しむずかしい。私の勝手な連想なのだから。
私は、映画女優、キム・ノヴァクが描いた一枚の油絵、「落ちた王さま」を思いだしていた。

これは父を描いたもの。バックは「化石の森」から着想したの。全身の感覚が麻痺して化石みたいになった男。感覚も情熱も何もかもがなくなった。だから死んじゃったの。

「化石の森」の荒涼たる砂漠と、遠くに燃えさかる赤い炎のような空、放心したように佇む男のまなざしには、希望のかけらもない。私はこの絵をキム・ノヴァクのどんな映画よりも傑作だと思っているのだが、「人の秘密は/空洞があって/空洞を取り囲んでいるものがあって/ときどき内側から崩れてしまう」という野木 京子の詩を読んで、「ああ、そうだなあ」と思ったのだった。

むろん、キム・ノヴァクと、野木 京子にはまったく関係はない。ただ私は、キムの絵を見た感動を、野木 京子のことばを借りて、勝手に言い換えただけなのだ。

私も全身の感覚が麻痺して化石みたいになった男なのだ。そして、私にも、秘密がある。その秘密にはやはり空洞があって、その空洞を取り囲んでいるものがある。
それはもはや、内側から崩れている。

野木 京子は書いている。

この一年、パワフルな若い人たちの、バリバリの現代詩の投稿作を山ほど読み続
けているうちに、自分の詩が書けなくなってしまいました。少しづつ調子を取り戻していきたいと思います。

私も、きみのおかげで、少しづつ調子を取り戻してゆく。

1853

 

コロナ・ウイルスの日々。4月から5月いっぱい、ただもう無聊にすごした。

なんとなく、キ-ツの一節を思い出しながら。

そして小さな街よ きみの街並みは 永遠に
沈黙をつづけて……

 毎日、無数の人が感染して、その感染がひろがりつづける。(7月23日、世界の感染者数は、ついに1500万人に達した。 後記)
この感染者数の何%かの人が、ただの無意味な数字になって計上される。こういう死者たちは、自分の人生をできるだけ早く終わらせたいという思いから、数字の1つにむかって必死に走りつづけたのか。

2020年5月15日(金)晴。友人、野木 京子が、「現代詩手帖」5月号と、同人誌、「八景」を送ってくれた。
野木 京子は、「現代詩手帖」で1年間、投稿の選者をつとめて、この5月号で、「現代詩手帖賞」の選考をおえたという。

昨年の五月から、今月中旬まで、一年間、「現代詩手帖」の新人投稿欄の選者の仕事をしていました。
若い人たちの運命を左右する役目でもあり、私には荷が重くて、緊張していた一年間でした。同封させていただいた、今月の五月号で、最後の役目になる、現代詩手帖賞を、ぶじに決定することができ、役目を終える事が出来て、私はとてもほっとしております。先生はあまりご興味ないかと思うのですが、一年間私ががんばった記念(?)のつもりでお送りしました。

野木 京子が、私のブログ再開をよろこんでくれている。
ありがとう、京子さん。

私は、現代詩をほとんど知らない。しかし、野木 京子さんのおかげで、「詩について」とりとめもなく考えはじめた。