1846 (2020年4~5月の記録)

5月12日、ひとりの俳優が亡くなった。

ミッシェル・ピッコリ。94歳。

少し調べれば経歴、出演作などもわかるだろうが、今の私は、外出自粛でそんなこともできなくなっている。それに、フランス語関係の本は処分してしまったからである。

私の蔵書に、ミッシェル・ピッコリの「回想」があった。内容ももうおぼえていないのだが、「戦後」の俳優の書いたものとしては、なかなかおもしろいものだった。
日本ではミッシェル・ピッコリはそれほど知られてはいなかったし、翻訳する機会もなかった。昭和から平成にかけての不況では出せる見込みもなかった。

ミッシェルは舞台俳優だが、映画スターとして知られた。

ブリジット・バルドーと共演したゴダールの「軽蔑」、あるいは、ブニュエルの「昼顔」で、カトリーヌ・ドヌーヴと共演したミッシェル・ピッコリといえば、思い出す人がいるかも知れない。

初老から白頭翁の俳優として、たくさんの映画に出ている。エマニュエル・ベアールが美しい裸身を見せた「美しき諍い女」のミッシェル・ピッコリをおぼえている人もいるかも知れない。

まるで違うタイプだが、イギリスの俳優、デヴィッド・ニーヴンとミッシェル・ピッコリの出た映画はかならず見ることにしていた。

すっきりした長身に、シックな柄の毛糸のジャケットが良く似合った。二枚目ではない。むろん、三枚目ではない。演技も重厚な演技というわけではない。ときには残忍な悪役もやったが、彼がセリフをいうときの息づかいになんともいえぬ粋な魅力があった。彼以後の役者としては、アングラード、などが登場してくるが、ミッシェル・ピッコリがいっしょに出ていると、いつも見劣りがした。

ミッシェルはジュリエット・グレコと結婚している。(のちに、離婚したが。)

ジュリエットは、「戦後」のある時期までセーヌ左岸の、サルトル、シモーヌ・ド・ボーウォワールと並んで 実存主義(エグジィステンシャリズム)の女王だった。
そのジュリエットは、晩年、東京で二度リサイタルをやって引退した。最後の公演のジュリエットは、ほとんど声も出なくなっていた。ミッシェルと離婚したあとのジュリエットの境遇を思って暗然としたことを思い出す。

ミッシェル・ピッコリの死は、5月20日になってから知った。フランスにひろがっているコロナ・エビデミックのせいで遅れたのかも知れない。