1845 (2020年4~5月の記録)

ベッドに寝ころがって、フランス映画、「アガサ・クリスティーの奥様は名探偵」(パスカル・トマ監督/06年)を見た。アガサ・クリスティーの「トミー&タペンス」ものの映画化だが、ミステリーとしてはつまらない。
ただし、主役の「ブリュダンス」をやっているカトリーヌ・フロはいい女優だった。もうひとり、好きな女優ではないが、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドがすっかり老女になっている。

たとえば――「人生模様」のマリリン・モンロー。しがない街娼の役で、セリフはわずか二つか三つ。マリリンはまだ無名だったが、相手は名優、チャールズ・ロートン。そのチャールズでさえ、ある瞬間、マリリンに圧倒されてしまう。
カトリーヌ・フロは、外見は中老のおばさんだが、名探偵、タペンスになる一瞬に、舞台できたえた素質のよさがキラリと輝く。

ジッドの、あまりできのよくない小説、「未完の告白」の最後の1行、

その後、二度とふたたび、母の姿を見ることはありませんでした。

つまらない小説が一瞬にして、みごとな幕切れになっている。映画をみて、思いがけない感動をおぼえるのも、そういう感動があるからだ。

つまらない映画を見るときは、女優さんの演技を見るにかぎる。主役でなくとも、どこかに女優の輝く瞬間があるかも知れない。わずかなカットでも、その女優さんの「役」のみごとさがきらめく瞬間がある。ときには、演技としてのきらめきだけにとどまらず、その女優の、舞台、スクリーンの「女」としての輝きとして印象に残るのだ。