幼い頃から映画を見ている。
むろん、内容もおぼえていない。
後年、母、宇免から聞いたところでは、エディ・カンターの喜劇を見た私は笑いころげたという。
母は、いろいろな映画を見たが、私をつれて行くときは、きまって喜劇映画ばかりだった。
幼い私は、ハロルド・ロイド、バスター・キートン、ローレル/ハーディの喜劇が好きだった。
母の知人で、瀬川さんという裕福な家庭があった。瀬川さんの子どもたちが、私の幼友だちだった。瀬川夫人の従姉妹が伊達 里子だった。「蒲田」のスター女優だったと思う。私は伊達 里子の映画も何本か見ている(はず)だが、もう思い出せない。
もうすこしあとのことだが――小学生の2年生か3年生の私がぼんやりおぼえているのは、高杉 早苗や、田中 絹代といった美女たち、さらには桑野 通子というモダン・ガールだった。
幼い私があこがれていたのは、高津 慶子という女優さんだった。
ずっと後年になって知ったのだが――高津 慶子は、17歳で、「松竹座」楽劇部に入社。1929年7月から「帝国キネマ」(帝キネ)に移った。19歳で「腕」という活動写真に主演。これが6本目。
日本でも、サイレントの活動写真からトーキーに移行しようとしていた時代で、高津 慶子はプロレタリア映画、「なにが彼女をさうさせたか」に出ている。
私が見た高津 慶子がこれもスターだった河津 清三郎と共演した活動写真に、幼い私はショックを受けた。題名もわからない。お互いに愛しあいながら、身分の違いが二人の仲を裂き、最後に旅先の旅館で心中するというストーリーだった。
幼い私に何が見えているわけでもない。しかし――幼い少年時代に、私は農村がどんなに疲弊していたかを見ていた。
幼心に、ふたりの悲劇がなんとなく理解できたのではないか。
小学校の6年生の頃、時代劇の森 静子が好きだった。
はじめてエノケン(榎本 健一)の「孫悟空」に出た中村 メイ子も見ている。
その頃から佐久間 妙子、琴 糸路といった女優さんが好きになった。大都映画という、マイナーな映画会社のスターだった。このことは――ひとりで活動写真館にもぐり込むようになっていたことを意味する。
いつの間にか高津 慶子のことも忘れてしまった。
かくばかり さびしきことを思ひ居し
我の一世(ひとよ)は、過ぎ行かむとす 釈 迢空
老いさらばえて、もう誰も知らない古い古い映画のスターたちのことを思い出している。
われながら、愚かしいこととは承知しているのだが。