思いがけないメールが届いた。(2020.4.15.)
そのまま、ブログに載せるのは失礼だが、許していただきたい。
中田 耕治様
尊敬する方が神のように憧れると仰ったジュヴェのことを
知りたくて、ご著書を出版後直ぐに手にいれました。
それは、時代の空気の中の、役者・演出家の息遣いまで書き
込んであるような本で、圧倒されましたが、それだけではなく、
その人の人生に伴走しているような錯覚をおぼえるものでした。
遅読で、毎日少しずつ読み、読むことが自分の一日の一部の
特別な時間となり、途中から、いつか終わるこの日々が惜しく、
辛かった思いが鮮明に残っております。
けれども、エピローグ、あとがきまで読み終わり、「ありがとう、
ジュヴェ」という言葉に辿り着いた時、止めどなく涙が流れ、
生きなければ、生き果たさなければ、と、大きな励ましを戴き
ました。自分の人生の様々な局面で、再び本を開き、紆余曲折、
とにかくは死なずになんとか生きて来られました。
新型コロナウイルス問題で、自宅待機の日々、久しぶりに
手に取り、少しずつ読みながら、わくわくしております。
ただの一読者で、甚だ厚かましいと存じながら、中田様のブログ
を発見して、今、書かなければ、と思い着くと止められなくな
りました。
ありがとうございました、中田様。この本を書き上げて下さ
って、本当にありがとうございました。
どうぞお身体に気を付けて、書き続けてくださいますよう。
ありがとうございました。
高野さんという方のメールだった。
まことに失礼ながら、このメールを引用させていただいた。(どうも宮 林太郎さんの「日記」のように、知人の手紙を勝手に引用するようで忸怩たる思いがあるのだが。)
高野さん。
あなたからのメール、うれしく拝読しました。お礼を申しあげます。
評伝、「ルイ・ジュヴェ」をお読みくださっている読者がいる。しかも、発表して20年になるのに、私のブログ再開を喜んでくれている。まず、このことに驚き、かつ感動しています。
あの評伝は、あと書きでふれましたように、20世紀の終わりに、つい昨日の世界を見つめ直すつもりで書いた作品です。たいして評判にもならず忘れられた作品ですが、こうして出版後20年もたっていながら、あらためて読み返してくださった読者がいる、と知ってうれしくなりました。
1万人の読者が1度読んだだけで、その後は2度と読まれない本を書くよりも、少数の読者が時をへだてて読み返してくれる本を書く。作家としてこれほどうれしいことはありません。まして、あなたのように、毎日少しずつ読み、読むことが自分の一日の一部の特別な時間となり、途中から、いつか終わるこの日々が惜しく、辛かったという読者が、私のブログの再開に励ましのメールを送ってくださった。作家として、これほどありがたいことはありません。
私の「ルイ・ジュヴェ」は、複雑な記述が多く、とりあげられたテーマも多様で、しかも、今ではもう誰もおぼえていない俳優、女優が次から次に出てくるのですから、さぞ読みにくかったとおもいますが、あなたは最後のあとがきまで読み終わり、涙したと書かれています。私のほうこそ、こういう読者がいると知って感動しました。
心からお礼を申し上げます。
(つづく)