宮さんの「日記」のいいところは、老年になって、それまではついぞ覚えたことのない老年の不機嫌や、ひがみも語りつづけたこと。
それでいて、頑迷な、気むずかしい人間になり果てた老人といった感じがない。
宮さんの天衣無縫ぶりは、「日記」のかなりの部分が、自分の好きな作家のこと、各地の友人たち(そのほとんどが、各地の同人雑誌作家たちだった)の手紙の全文の引用、そして、自分の好きな作家(特にヘミングウェイ)の文章、その伝記からの引用にあらわれている。
引用の多さは、常軌を逸していた。
この引用はまことに臆面もないもので、うっかり手紙を書こうものなら、たちまち宮さんの「日記」に転載されてしまう。日頃、よほど親しい友人にさえ手紙を書かない人間なので、宮さんを訪問することはあっても、手紙は書かなかった。
しかし、「無縫庵日記」を読むのはけっこう楽しかった。
宮さんの引用は、よくいえば、さながらアテナイオスの随想録、「食卓の賢人たち」を読む様な趣きがあった。この随想録には、つぎからつぎにいろいろな人の意見や詩、エピグランマが出てくる。いたるところに、同人作家仲間の手紙や、宮さんの作品に対する諸家の批評が並んで出てくる。将来、宮さんの「日記」を読む人は、誰も知らない同人雑誌の作家たちのあれこれを教えられることになるだろう。
私もまた宮さんの「日記」に登場することになったが――じつは、宮さんの最晩年の中編小説、「幽霊たちの舞踏会」に、作中人物としての「中田耕治」としても登場している。
この中編小説には――コクトオ、ピカソなどいろいろな人物が登場するのだが、マリリン・モンローも出てくる。この登場人物はみんなが「幽霊」で、この「幽霊たちの舞踏会」に、主人公(宮さん)が、若い友人の作家、「中田耕治」を誘って出席するという話だった。
この小説の「中田耕治」は、まことに頭のヨワい作家で、「マリリン・モンロー」に会えるというだけで雀躍して同行する。
私自身、頭のヨワい作家なので、どう描かれても仕方がないのだが、宮さんの「いたずら」はどうも感心しなかった。せめて辛辣なパロディとして書いてあればおもしろくなったと思われるのだが、「マリリン・モンロー」も、コクトオ、ピカソも、まるで生彩がなかった。
私たちはお互いにヘミングウェイや、パリのこと以外にほとんど話題にしなかったが、宮さんは私の訪問をよろこんでくれたと思う。
宮さんはパリの街の美しさ、パリの女の美しさを語って、倦むことがなかった。
(再開 13)