もう少し、宮さんの「日記」を引用してみよう。
1995年5月3日。
六月号の女性雑誌「Marie claire」というのを買ってきた。「異邦人のパリガイド」という特集号で、「エトランジェが発見したパリの魅力」というのが副題である。それは二十世紀初頭の一九一〇年代にかけてパリを彷徨していた芸術家たち――アナイス・ニン、トーマス・マン、ヴァルター・ベンヤミンやジェイムス・ジョイス、T・S・エリオット、ガートルード・スタイン、エズラ・パウンド、リルケ、ナボコフ、カフカ、モーム、スコット・フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラー、シルヴィア・ビーチ、ピカソ、モジリアーニ、シャガール、イサドラ・ダンカン、ストラヴィンスキーたちで、いわゆるパリのボヘミアンの群れと、パリのアメリカ人たちの群れであった。
中でもヘミングウェイ、ジェイムス・ジョイス、ガートルード・スタイン、ヴァルター・ベンヤミンについては、各々そのパリとの結びつきが詳しく書かれていて興味深く読んだ。
若い頃の私はヘミングウェイを訳したり、そのヘミングウェイに私淑して回想を書いた編集者の本などを訳したことがある。宮さんもヘミングウェイに私淑していたので、そんな私の仕事に関心を寄せてくれたのだった。
さて、宮さんはガートルード・スタインについてふれながら、ガートルードが死ぬまでパリに暮らしていたのに、「カフェ」に近づいていない理由を考える。
アメリカのニューヨークでは「カフェ」を探しても見つからない。それは「何もしないでカフェに長い間坐っていることは、一種の「悪徳」と考えられているからであり、カフェは、怠惰の象徴であり、非生産性を助長する……」というのである。なるほど、そういう考え方もあるのかなあ、と反省してみた。
東京でもカフェは発達しなかった、と宮さんはいう。
「カフェ文化」が起こらないのは、真のボヘミアン精神が成長しないか、育たないか、存在しないかの違いである。つまり、パリの街の魅力のような自由なボヘミアニズムがないからである。
そして、東京ではどこもかしこも落ちつく場所がない、と宮さんは嘆いている。
東京で「カフェ文化」が起こらないのは、パリの街の魅力のような自由なボヘミアニズムがないから、というのは、失礼ながら、いささか単純ないいかたで、思わず笑ってしまった。これが宮さんの「天衣無縫」ぶりなのである。
(再開 10)