ブログ休筆のあいだ、ただ、沈黙したまま日々を過ごしていた。
私の心にあったのは、
「最悪」であるということ、
「運命」に どん底に投げ出されているということは
いつも希望をとりもどすということだ
困ったときには、シェイクスピアを読むにかぎる。
たまたま、妻の遺品などを整理したとき、ついでに自分の蔵書も整理した。このとき、いちおう完成していた長編や昔の日記を見つけた。
日記は、後半、アメリカでオペラやサイレント映画を見たり、ソヴィエトに行ったり、私としては、けっこう多忙だった時期の日記だった。小説ならまだしも、阿呆のメモや日記など、発表する価値もない。読み返して、少しはおもしろいと思ったが、今の出版状況では発表する機会がない。いっそ、焼き捨ててしまえ。少し惜しい気がしたが、長編は出版できないと判断して、焼き捨てた。
灰になった原稿を見て、少しだけ惜しい気がしたところが、阿呆の阿呆たる所以(ゆえん)である。
久しぶりに、田栗 美奈子に電話をかけた。長編を焼き捨てたこと、ついでにこの「日記」が出てきたことを告げると、私の報告を聞いた彼女は、しばし絶句した。つづいて私が耳にしたのは、激しい非難だった。おだやかで温厚な美奈子さんが色をなして、「日記」を焼き捨てるなどもってのほかです、という。
私はうろたえた。私の「日記」など、はじめから無意味なもので、他人に読まれる価値はない。私が反論すると、田栗さんが、発表できるところだけでも、ブログのかたちでつづけたらどうですか、と説得してくれた。
しばらくして私も納得した。なるほど、そういうことか。これからしばらく何も書かないつもりだから、この「日記」を「コージートーク」に代用すればいいかも。
ブログを休止するかわりに、この「日記」をブログに連載することにしようか。
何も書けないのだから、せいぜい「日記」の連載でお茶を濁すつもりだった。愚にもつかない「日記」でも、阿呆が書いた作品とおもえばいい。ありがたい叱責だった。そのときの私は、すなおに美奈子さんの言葉にしたがうことにした。
今になって、あのとき美奈子さんに叱られたことをありたがたく思っている。
こうして、れいれいしくもブログに昔の「日記」を載せはじめた。アメリカではサイレント映画を見つづけていたが、あとでサイレント映画について、本を書きたいと思っていた。そのため「日記」から省いたが、これも、今となっては少しだけ惜しい気がする。(あとで、友人の安東 つとむの好意で「サイレント女優」のプロフィルめいたものを連載することができた。これは、40回近く連載された。あらためて、安東 つとむに感謝している)。
この「日記」は、旧ソヴィエトに旅行することになって、ハバロフスクまで着いたところで終わっている。日記を書き続ける余白がなくなったためだった。
この時のロシアの印象は、拙作、「メディチ家の人びと」のエピローグに書いたが、これまた、今となっては懐かしい思い出のひとつ。
(再開 2)