1978年4月18日(火)
公労協。スト、2日目。
国鉄ダイヤがマヒしている。
中国・ヴェトナム国境で戦闘が行われている模様。スウェーデン放送の香港特派員がつかんだニュース。
ヴェトナム外務省の高官は、
――国境付近で何が起きているかあきらかにできないが、中国との領土紛争は南シナ
海の西沙、南沙群島ばかりではなく、陸上地域にもある。
と言明した。
北京の日本大使館は、尖閣諸島の領海侵犯事件に関する外交レベルでの話し合いを申し入れた。
海上保安庁の調べによると、尖閣諸島の周辺海域の中国漁船団は、領海外に集結、漂泊をつづけている。
この事件は、中国・ヴェトナムの武力衝突とも、微妙に関連しているとみていい。
1978年4月21日(木)
2時、銀座「サンバード」で、「集英社」、新海君に会う。校正を受けとる。
3時、「サンバード」のすぐ前のリッカー・ビル、「CIC」で「初恋」(ショーン・ダーリング監督)を見た。映画としては、小味なものだが、私は興味をもった。原作は、ハロルド・ブロドキー。脚色、ジョーン・スタントン・ヒッチコック。
この映画の試写を見たとき、試写室にいたのは、私ともうひとり、どこかの雑誌編集者だけだった。
その内容を書きとめておく。
誰もいない練習場で、学生の「エルジン」(ウィリアム・カット)がひとり黙々とサッカーの練習をしている。バックに、キャット・スティーヴンスの「チャイルド・フォー・ア・デイ」――「もう幼い日々は過ぎているが、まだ新しい日々はこない」という歌詞が流れている。
「エルジン」が翌日の試験にそなえて、自室で勉強していると、隣室で、友人、「デイヴィッド」と「シェリー」が性の営みの最中で、「シェリー」があられもない声をあげている。ところが、「デイヴィッド」のステデイだった「フェリシア」がやってくる。「シェリー」はあわてて、窓から逃げ出して、裸のまま「エルジン」の部屋に入ってくる。隣室で、「デイヴィッド」と「フェリシア」がセックスをはじめるのを聞いた「シェリー」は、「エルジン」をベッドに誘おうとするが、「エルジン」は試験を理由に「シェリー」の誘惑を退ける。
翌日、「デイヴィッド」は窮地を救ってくれたことを恩に着て、自分と「フェリシア」、「エルジン」と「シェリー」のダブル・デートを計画する。「エルジン」はあまり気が進まなかったが、「シェリー」をエスコートして、町のイタリアン・レストランに行く。テーブルについたとき、偶然、この店にやってきた中年の男と、若い娘、「キャロライン」を目にする。
その夜、「シェリー」は「エルジン」の部屋に入ると、ドレスを脱ぎ捨てて、セックスをもとめるが、「エルジン」は応じない。自尊心を傷つけられた「シェリー」は、「エルジン」を罵倒して去ってゆく。
「エルジン」は、大学のコーヒー・ショップでアルバイトしている。教授の注文を受けたとき、別のテーブルについている「キャロライン」に気がつく。イタリアン・レストランで見かけた娘だが、「エルジン」が話しかけても相手にしない。おまけに、「キャロライン」がもっている「ボヴァリー夫人」にうっかりコーヒーのシミをつけてしまう。「キャロライン」は、しきりに謝る「エルジン」に閉口して去って行くが、そのテーブルの紙のマットに、「キャロライン」のアドレスが残されていた。
その夜、新刊の「ボヴァリー夫人」を手に、「エルジン」は「キャロライン」の部屋を訪れる。こうして、ふたりの交際が始まったが、「エルジン」は「キャロライン」とおなじ教授の講座にも出ることにした。
ある日、「キャロライン」に誘われてコンサートに行く。その会場で、いつか「キャロライン」をエスコートしていた中年の男とその夫人に会う。「キャロライン」が紹介してくれたが、その態度にぎごちないものを感じた「エルジン」は、「キャロライン」とその男のあいだに何かがあると直観した。
コンサートの帰り、「キャロライン」は、不意に、「エルジン」の部屋で一夜を過ごしたいという。肉体的に交渉をもつという意味ではなく、ひとりで夜を過ごす孤独に耐えられないから、という「キャロライン」の気もちを理解した「エルジン」は、服を着たまま「キャロライン」と抱きあって寝る。
夜が明ける。
「キャロライン」が感謝をこめてキスしたことから、若いふたりは自然に肉体の悦びをたしかめあう。
セックスのあと、「キャロライン」は、幼いとき動物園で見たラクダの話をする。「冬、そのラクダは雪が降りしきるなかで、口を開けて雪を舌に受けていた」と。
――ラクダは雪を見たことがあったのかしら。バクトリアって、どこにあるのか知ら
ないけれど、ラクダは雪を思い出していたのかも知れないし、もしかすると、生
まれて初めての経験だったかも知れない。初めてのようで、それでいて、もう既
に知っているような感じ――それが今のわたしの気もちよ。
「エルジン」は、「キャロライン」が処女ではないことを知った。「エルジン」自身は、こういう気分になったのは初めてだ、と彼女にいう。しかし、彼女が、あの中年の男の愛人だろうという疑いが強くなってくる。
週末、「キャロライン」が、田舎の自宅に「エルジン」を招いた。「エルジン」は、オートバイで出発するが、たどり着いた先は驚くほど広大な邸宅だった。「キャロライン」が少女時代を過ごした部屋で、ふたりは抱きあう。「エルジン」が、「キャロライン」に求婚すると、「キャロライン」は笑う。
「キャロライン」は、庭の木立の奥に建つ広大な自宅と、寸分違わないミニチュアの家に「エルジン」を案内する。このミニチュアの家は、少女の頃に「キャロライン」に贈られたプレゼントだった。そのミニチュアの家の中で、「エルジン」は「キャロライン」の体を求めるが、「キャロライン」は不意に、泣き声になって、彼を拒む。
そのようすから、7年前に亡くなったと聞いた彼女の父が、このミニチュアの家で自殺したらしいと「エルジン」は悟った。
この大邸宅で過ごしたあと、「エルジン」は大学に戻らなければならない。仕度をしているところに、電話がかかってくる。電話に出た「キャロライン」の表情が翳って、「エルジン」は何があったのかと心配する。
帰りの車内で、「キャロライン」は、「もうお互いに会うのをよしましょう」という。そのやりとりで、電話をかけてきたのは、あの中年の男、顧問弁護士の「ジョン・マーチ」だった。「エルジン」は、「キャロライン」が「ジョン」と結婚する意志を固めたものと思って、道路脇にとめた車から飛び出す。そして、オートバイに乗って、「キャロライン」の大邸宅から去って行く。
このときから、「エルジン」の生活は一変して、ただ空虚な時間にさいなまれる。むなしさの果てに、すべてを忘れようとして、酒におぼれる。そんな夜に、何度も「キャロライン」と行ったバーで、「キャロライン」と「ジョン」の姿を見かける。「キャロライン」は彼を避けようとするが、「エルジン」はわざと「ジョン」の前に姿をあらわして、いやみたっぷりに バーを飛び出す。
自室に戻ったとき、「デイヴィッド」の帰りを待っていた「シェリー」を見つけて部屋に誘い込む。彼女を抱くが、快感のさなかに、「キャロライン」の名を口にしてしまう。しらけた「シェリー」は傷つけられて外にとび出す。
「キャロライン」をあきらめきれない「エルジン」は、ついに意を決して、弁護士の「ジョン・マーチ」に会いに行く。「ジョン」と対決するつもりだったが、「ジョン」の苦しげな口ぶりから、「ジョン」は妻と離婚する意志がないこと、離婚を匂わせたのは「キャロライン」の心をつなぎとめるためだったことに気がつく。「ジョン」は、「キャロライン」が「エルジン」を選んだとしても、それは「キャロライン」の選択であって、あくまでも「キャロライン」の自由を尊重するという。
数日後、夜中に「キャロライン」が「エルジン」の部屋にやってくる。「ジョン」と別れてきたのだった。「エルジン」は彼女を抱く。
しかし、「キャロライン」にもう一度裏切られるのではないかという不安が、「エルジン」をとらえている。彼女に結婚をせまったが、「キャロライン」はイエスと答えない。
――とにかく、こうしてあなたのところに戻ってきたんだから、それでいいんじゃない。
――それでは、また不安定な関係をつづけることにしかならないだろう。
このやりとりで、「キャロライン」はまたしても去って行く。
ある日、「デイヴィッド」は「シェリー」と結婚することを「エルジン」に告げる。「シェリー」が「エルジン」とセックスしたことも承知の上で。「エルジン」は心から「デイヴィッド」を祝福する。
ある日、キャンパスの木立にいた「エルジン」は、大学に戻ってきた「キャロライン」を見る。彼女を送ってきたのは弁護士の「ジョン」で、ふたりの親しげなようすを見てしまう。
「エルジン」は、「キャロライン」が歩いてくるのを待ちうける。彼女をつかまえて、結婚してくれ、という。しかし、「キャロライン」は苦しげに答えをしぶる。「エルジン」は思わず、彼女に Slut という言葉を浴びせてしまう。
最後のシークェンスは、駅。「キャロライン」は帰郷する。駅まで送ってきた「エルジン」は、「キャロライン」とほとんど口をきくこともなくなっている。
「キャロライン」は汽車に乗り込むとき、「エルジン」と抱擁する。
――もう、二度と会えないみたいね。
「キャロライン」の顔に悲しみがあふれる。
列車が去って行く。車中の「キャロライン」の目に涙があふれる。
「エルジン」は、真冬の動物園に行く。ラクダの檻の前に立っていると、飼育係の老人が通りかかる。
「エルジン」は、バクトリア産のラクダのことを訊く。
――バクトリアってノは、アジアのどこかだろ。雪が降るかどうか知らないけどね。
でも、ラクダは雪が降っても平気なのさ。順応するんでね。
ラクダは口を開けて、降ってくる雪を口に受けようとする。「エルジン」はそれを見ている。そして、動物園を去って行く。
これが、映画のストーリー。
映画としては、それほど傑作というわけではない。しかし、若い学生の恋愛を描いて、愛に傷つく姿をよくとらえている。「卒業」や「ある愛の詩」などとおなじ恋愛映画と見ていいが、私がこの映画に惹かれたのは、恋をする男の心理に共感できるから。しかも、年齢的に、若い男女の愛を阻む弁護士の「ジョン」に近い。
ウィリアム・カットは、「キャリー」(ブライアン・デ・パルマ監督)で、「キャリー」(シシイ・スペイセク)をプロム(卒業パーテイー)に誘う同級生を演じて認められた若い俳優。しかし、まだ知名度も低いので、この映画は、公開されなかった。
この映画を見たのは、「CIC」の宣伝部、そして試写を見にきた新聞・雑誌の映画担当の編集者数人だけだろう。
映画が公開されないのだから、誰もとりあげるはずはない。したがって、誰も知らないまま、永久に忘れられてしまう。私にしても、試写のときにわたされるかんたんなシノプシスさえもっていない。
主演女優の名前さえ知らない。
この映画の映像の美しさ。ところどころに女性監督らしいみごとな演出が見られる。
「エルジン」と「キャロライン」が、はじめて肉体の悦びを知る場面。夜が明ける。抑制のきいた美しい場面。
私は、この映画を見て、感動とまではいかないが、いい映画だと思った。おなじ青春映画でも、「ルシアンの青春」(ルイ・マル監督)や、「激しい季節」(バレリオ・ズルリーニ監督)などに比較すれば、どうしても見劣りする。
(この映画は、日本では公開されなかった。おそらく、フロップと予想されたのだろう。スーパー・インポーズまでいれながら公開されない映画もある。むろん、宣伝もしないままなので、題名さえ知らないまま永久に消えてしまう。 後記)
私は、この映画が公開されなかったことを残念に思う。せめて、ストーリーだけでも書いておくことにしよう。
1978年4月22日(土)
快晴。
池のコイが弱っている。白点病のサカナたちを隔離しておいたのだが、コイを池に戻したところ、腹を上にして苦しみはじめたので、急いで井戸水に移した。池には、十数尾だけ放してある。助けてやりたいのだが、経過を見るしかない。
佐伯 彰一さんから、「評伝 三島由紀夫」を頂戴した。私も、評伝めいたものを書きつづけているので、佐伯さんの評伝には関心をもっている。
高階 秀爾さんが、パリから私の書評の礼状を。
先輩の批評家たちが、つぎつぎにいい仕事をしている。
竹内 紀吉君が「私のアメリカン・ブルース」を届けてくれた。間違いや誤植を見つける。
1978年4月23日(月)
今日は、宮坂家(私の父、昌夫の異父弟、宮坂 与之助)の次男、宮坂 秀男君と、滝沢 景子さんの結婚式。
9時半、三河島に。私鉄ストのため、駅は混雑している。
11時10分、荒川区民館に着く。
宮坂家の当主、宮坂 広志君に挨拶。秀男君と景子さんの幸福な姿。
じつは、今日は、私と百合子の結婚記念日。
1978年4月24日(火)
朝、6時半、家を出る。
お茶の水に出て、地下鉄。池袋から西武線で、江古田に。
「練馬総合病院」に入院する。6階、606号室。個室で、清潔で、いかにも病室といった感じの部屋。
人間ドック。
採血。血沈。つづいて、午前中に、糖分を1ccずつ3回、飲まされた。血糖負荷試験のためと、肝機能検査のための採血。
看護婦さんが、つぎつぎにやってくる。
食事は、ちょっとしたホテル並みのメニュで驚いた。
ご飯――ちらし。(お刺身、3切れ。タマゴ焼き。キューリの漬物。シイタケの甘煮。ノリ)
お吸い物――(タマゴ、ネギ)
お采――ホタテ貝。刻んだネギを散らしたものにミカンを一房。トマト1個にキューリのつけあわせ。おトーフの煮つけ。キューリとアスパラガスの酢の物。
菜。赤ショーガ。
おいしくいただいた。
午後4時15分、頭部、鼻部のレントゲン撮影。この間に、担当の医師の回診があって、血圧の測定。
あとは、所在なく、ベッドに引っくり返って寝ているだけ。仕方がない。絵でも描くか。画用紙に、鉛筆でデッサン。
夜食がすごい。
サカナのフライに、キャベツとキューリのつけあわせ。これにスミレのような紫色の小さな花が添えてある。シイタケ、ポテト、凍みドーフの煮つけ。サカナとリンゴのつけあわせ。白身のサカナ、キューリで和えたもの。モヤシのおひたし。甘ミソ。
デザート――缶詰のミカンと、レタス、キャベツの甘酢和え。イチゴにホィップしたクリームをかけたもの。
夜、テレビで「新幹線大爆破」を見た。9時、消灯なので、音を小さくして見たが、電気紙芝居。
明日、胆嚢の撮影のためらしい白い錠剤を7時、8時に、グリーンの錠剤を9時に服用した。
深夜、フランソワーズ・ロゼェの自伝を読む。
1978年4月25日(水)
朝食はヌキ。
9時15分、胆嚢、胃の透視。
10時半、泌尿器の検査。これは、どうもまいりましたな。
11時半、オーディオメーターによる聴力検査。
フランソワーズ・ロゼェを読み終えた。
昼食――トリ肉とシイタケのホイル焼き。ユバを挟んだタマゴ焼き。ナスの煮つけ。ゴボウ、昆布、切り干しの煮つけ。ニンジン、ダイコンの煮つけ。上にカツのフレークがのせてある。大きなサカナの煮物。ジャガイモとニンジンの煮つけが添えてある。ピーマンの肉づめ。キャベツ、トマト、シソの佃煮。赤ショーガと野菜の煮物。デザートはパイナップル。
午後、肺活量、体重、身長、胸囲の測定。
耳鼻咽喉科、眼科の検査も終わった。蕁痲疹が出たので、皮膚科で診察を受けた。
この科の医師は、30代後半の女医さんだった。カルテに記載されている名前を見て、不思議そうに、
――中田 耕治さん……あのハードボイルドを書くひとですか?
――はい。そんなことになっています。
そばにいた看護婦さんたちが、にわかに興味をもったようだった。
この女医さんのデスクの前の壁に、モディリアーニの「アリス」のポスターが貼ってあつた。
――めずらしい絵ですね。ぼくも、パリで、ボードに印刷したモディリアーニを買いました。大切にしていたのですが、あとで好きになった女の子にやってしまいました。
みんなが笑った。私は軽薄な男で、すぐに調子にのって、女性たちの関心を買おうとするところがある。
フランソワーズ・ロゼェの自伝を読み終わった。フランスが降伏したとき、ロゼェもパリを脱出したが、大変な苦労をしたらしい。
この本を読んでしまったので、もう読む本がない。
夜食――メダマ焼き。これに、ホーレンソウ、トマトが添えてある。サカナの白身を、白、黒のゴマで固めて、かるく油で揚げたもの。これにキャベツの煮つけを添えて。フキ、ニンジン、トーフの煮つけ。キューリ、ワカメの酢のもの。
お刺し身、6切れ。キューリ、ナスの漬物。トマトを綺麗に切りわけて、マヨネーズ。
おすまし(フ、小松菜)。ウメボシ、1つ。
デザートはイチゴ、砂糖。
1978年4月26日(木)
朝、胃液の検査。
昼食――ビーフステーキ! スパゲッテイのトマト・ピューレいため。キューリ、サラダ。イセエビ! キューリ添え。白身のサカナ、キャベツ、レモン、トマト、紫の花が添えてある。カボチャを煮たもの。サカナとウドのヌタ。コンニャク、ニンジン、ネリモノの煮つけ。ダイコンオロシにイクラをのせて。ナンテンの葉を皿にして、枝の部分にチョコッと置いてある。
アスパラガスにカツオブシをかけて。タクアン、菜ッパ、ミソ。白ミソのオミオツケ。
デザートはイチゴ、パイナップル。ティー!
とても食べきれない。4品は手をつけなかった。
しかし、こういうお食事が「にんげんドック」に必要なのか。
食事のあと、検査の結果の説明を聞く。
ある程度、予想はしていたが――胃、十二指腸とつながるあたりにポリープがある。胃カメラで検査ということになった。
私は動揺していたか。
血圧はTTTだけが高い。高血圧、高脂肪であることはたしかだが、胃のポリープが悪性のものでないことを祈るしかない。
「山ノ上」、ひとりで乾杯する。
今日は、国労、動労のストライキで、私鉄は大混雑だった。私としてはラッシュアワーを避けなければならなかった。時間をつぶすために、上野の「西洋美術館」で、「ボストン美術館展」を見た。ティントレットの「アレッサンドロ・ファルネーゼ」が見たかった。
このあと、「都美術館」に行ったところ、「日経」、文化部の竹田君に会った。彼と一緒に、「春陽展」を見た。
武田君を誘ったが、車を待たせてあるという。
美術担当の記者ともなれば、ハイヤーで動くのか。そう思ったら、東郷 青児が亡くなったので動いているらしい。
――へえ、いつ亡くなったの?
――先生、ご存じじゃなかったんですか。一昨日、熊本で急死なさったんですよ。
昨日は、入院していたともいえないので、黙っていた。二科の巡回展の準備で熊本に行って、ホテルで心臓発作を起こしたという。
いつだったか、俳優の石坂 浩二が、東郷 青児の推薦で二科に入選した。石坂は私の劇団の研究生だったからよく知っているが、本名、武藤 平吉君。たいへん多才で、いい芝居を書いたり、いい絵を描いた。そのまま絵を描いていれば、東郷 青児ぐらいの画家になれたに違いない。私は、武田君にそんなことを話した。
彼と別れて、もうひとつ、「国際美術展」を見た。これは、現代ハンガリー美術展だった。どれもこれも、おとなしい絵ばかりだった。共産圏の現代美術は、どうしてこうもつまらない絵しか描けないのか。
1978年4月27日(金)
中村 真一郎の「夏」を読みはじめた。中村さんが贈ってくれたので。美しい手蹟で、献呈 中田耕治君と書いてある。中村さんの字は、まさに達筆というべきもの。
初老期にさしかかった作家、「私」が、十数年前、40代の頃の女性遍歴、恋愛を回想する。王朝文化では、個人の人生を、四季の移ろいになぞらえる伝統がある。そこで、作家の人生も四季に見立てて「夏」とする。三年前に書いた「四季」の第二部に当たるので「夏」という。
この作品では、平安時代の「小柴垣草子」、鎌倉時代の「とはずがたり」を織り込んだ第7章、「にいまくら」のエロティシズムと、愛をめぐる考察が圧巻といえる。
読んでいるうちに、
Kは、若い頃に、ジードがやはり日記のなかであったか、「毎日、一度は死を考える」と書いていたのを読んで、この誠実さを表看板にしている作家も、この言葉に関する限り怪しいものだと思っていたのは、自分の若さからくる傲慢さに他ならなかったのだ、と述懐していた」と。
これを読んで、小説とは関係がないことを考えた。
私は、これまで「毎日、一度は死を考え」ながら生きてきた。弟、達也が亡くなったときから身についた習慣で、その後、戦争で何度も死にかけたし、戦後も、死んでもおかしくない病気で苦しんだこともある。死は私にとって親しい観念だったが――ジッドがおなじことを書いていたとは知らなかった。そういう自分のネクロフィラスな性格が、ジッドと共通していると知って愕然とした。
いくら、ジッドを尊敬してきたエピゴーネンだったとしても、毎日、死ぬことを考えるところまで似なくてもいいだろう。「毎日、一度は死を考える」ところまで、私はジッドを模倣してきたのか、と思うと恥ずかしい気がした。
現在も、人間ドックで精密検査を受けて、胃にポリープが見つかって、死がこれまでよりずっと身近なものになっている。
「毎日、一度は死を考える」ジッドを否定的に見ることを「自分の若さからくる傲慢さ」と見ない。もう、そんな年齢でもない。
真一郎さんも、ようやく大作家への道を歩みはじめたのかも知れぬ。ふと気がつくと――吉行 淳之介も、「夕暮れまで」で40代なかばの中年の男と、22歳の「処女」の2年半の「関係」を描いている。
作家の老残を描いた作品など珍しくもないが、結城 信一の「空の細道」なども、死にまつわる幻想を描いて鮮烈だった。いろいろな作家たちが、それぞれの方向をめざして歩きはじめているような印象がある。
私も、あたらしい戦場にのぞんでいる。
1978年4月28日(土)
午後、「読売新聞」、八尋 一郎さん、来訪。「本居宣長」についてのエッセイをわたす。
「夏」はまだ読み終えない。私としては、めずらしい遅さ。
この小説で、もう一つ興味をもったのは、主人公が京都で知りあつたコール・ガールとの交渉。そして1年後に再会した時の幻滅。(220~238ぺージ)
夜、「日経」、吉沢君に原稿を電話で。
1978年4月29日(日)・
和田 芳恵さんのご令室、和田 静子さんから、遺作集、「雀いろの空」をいただく。
丸谷 才一さんから、「日本文学史早わかり」、眉村 卓さんから「ぬばたまの・・」を贈られる。
中村 真一郎さんに、礼状。読後感を。
1978年4月30日(月)
和田 静子さん、丸谷 才一さんに礼状。
メディチ家に関する本を書きつづける。