1809〈1977~78年日記 56〉

1978年2月1日(水)
一度、映画の試写を見そびれると、なかなか見るチャンスがない。吉沢君から何度も連絡をうけていた「真夜中の向う側」(チャールズ・ジャロット監督)も、「ボビー・デアフィールド」(シドニー・ポラック監督)も、なかなか見られない。
3時、「ワーナー」で、「ボビー・デアフィールド」を見た。 エリヒ・マリア・ルマルクの原作、シドニー・ポラックの演出なので、期待はしたのだが。
フォーミュラ・ワンのチャンピオン・レーサー、「ボビー」(アル・パチーノ)が、事故を起こした友人をスイスの療養所に見舞う。ここで、不思議な女、「リリアン」(マルト・ケラー)に声をかけられる。翌日、「リリアン」はミラーノに帰る「ボビー」の車に同乗する。
マルト・ケラーは「ブラック・サンデー」で見たとき、大柄で、魅力もあって、しっかりした演技力のある女優と見えたが、この映画ではどうやらミス・キャスト。ルマルクが描こうとしたミステリアスな魅力はない。たぶん、「凱旋門」(ルイス・マイルストーン監督/1948年)のイングリッド・バーグマンが、ルマルクのヒロインのプロトタイプだろうと思うのだが。
F1レースの緊張と、フィレンツェや、コモ湖の静寂な風景のコントラスト。はじめは、浮薄なflirt に見える「ボビー」と「リリアン」の、背後に迫ってくる、ぬきさしならぬ孤独な翳り。ルマルクのテーマだろう。
「ボビー」と同棲している「リディア」(アニー・デュプレ)は、前作、「花のスタヴィスキー」で、ジャン・ポール・ベルモンドと共演したが、じつに典雅な美貌の女優だった。この映画では、アニー・デュプレとマルト・ケラーを入れ換えたほうがよかった。そのあたりシドニー・ポラックも考えたに違いないが、女優の差し換えはしなかった。そのあたりに興味がある。暇があったら、そのあたりを調べたいところだが。

6時、「山ノ上」で、大川 修司と。

「あくね」に行く。

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1978年2月2日(木)
竹内 紀吉君が、わざわざ国会図書館から借り出してくれた小酒井不木全集の第一巻を読む。
この巻は、殺人論、科学より見たる犯罪と探偵、毒と毒殺の3部からなっている。いずれも大正期に書かれたものだが、現在でも基本的な資料としての価値を失っていない。
ミステリー作家は、こうした先人の残した研究を読むほうがいい。
現代の薬理学のレベルからすればもの足りないところはあるにしても、小酒井 不木がどんなに熱心に毒物を研究していたか感動するだろう。

私は、小酒井 不木を読んで、ブランヴィリエ侯爵夫人について書いてみたいと思いはじめている。

 

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1978年2月3日(金)
「ガリヴァー」の原稿を書く。
5時半、「山ノ上」。「集英社」、永田 仁志君。熱心な編集者で、何とかして私に何か書かせようとしている。私としても彼の熱意に応えたいのだが。4月から、なんとか原稿をわたすことにする。
「ガリヴァー」、三浦君に原稿をわたす。すぐに、こちらは次の仕事をきめた。
7時、飯田橋の東京大神宮で、村永 大和君の「ビニールハウスの獣たち」の出版記念会。こうした出版記念会には、ほとんど出ないのだが、村永 大和君は私のクラスで講義を聞いてくれたひとり。
盛会だった。それはいいのだが、加藤 守雄が祝辞をのべている間、歌詠みとおぼしい女どもが、ベシャクシャしゃべりつづけていた。さすがに司会者がたしなめたが、歌人という連中、とくに、短歌雑誌に投稿するオバサンたちの低俗なことに驚かされた。
飯島 耕一さんを見かけたので、挨拶する。村永君に祝意を述べて退散する。

寒い。「あくね」に寄って、小川 茂久と話をした。

 

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1978年2月4日(土)
ヨーロッパ。水銀で汚染されたオレンジが市場に出回っている。西ドイツでは、シュレスウィヒホルシュタイン、ヘッセン、バーテンビュルテンベルグ、バイエルン、西ベルリンの各州で、汚染されたオレンジが発見された。
アメリカ国務省は、この事件をパレスチナ・テロリストの犯行と見て、きわめて卑劣なテロ行為と非難した。

午後、「タヒチの男」(ジャン・ポール・ベルモンド主演)を見た。仕事をする気にならないので。
ジャン・ポール・ベルモンドを主役にして、1348年のペストの災厄を背景に、マキャヴェッリの喜劇、「クリーツィア」を撮ったらおもしろいだろうなあ。フィレンツェはこの恐るべき疫病で、人口が三分の一まで減少したと推定されている。その中で、もっとも被害が多かったのは、最下層の労働者、織工たちという。ジャン・ポール・ベルモンドは、生き残った織工たちをひきいて……
監督は? フェデリコ・フェリーニがいい。
女優は? アニー・デュプレーだな。レスリー・キャロンか、フランソワーズ・アルヌール。

 

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1978年2月5日(日)
午前中、「メディチ家」のノート。

ドウソンの「中世キリスト教と文化」。ロスの「ユダヤ人の歴史」。山田 稔の「スカトロジア」。私は山田 稔という人に興味をもっている。「VIKING」の同人だが、関西ではなく、東京の文学者たちと交流したほうがいい。

夜、「個人生活」を見た。
ほんの1場面だが、アラン・ドロンの母親役で、マドレーヌ・オズレイが出ている。ルイ・ジュヴェの「恋人」だった女優。すっかり、オバアサンになっている。

―― マドレーヌ・オズレイ Madeleine Ozeray
1910年、ベルギー、ブイヨン・シュル・スモア生まれ。早くから舞台女優をめざし、ブリュッセルで、コンセルヴァトワールの生徒になり、首席で卒業。デュパルク劇場で初舞台。レイモン・ルーローの劇団に参加。パリに「青年の病気」で巡演。ルイ・ジュヴェに認められ、「アテネ座」に入った。数々の名舞台に出演した。戦時中は、パリを脱出、南アメリカを巡業したが、ルイ・ジュヴェと別れた。戦後は、舞台に復帰できず、映画に出ていた。
映画は、「ある夜の若い娘」でデビュー。「リリオム」(1934年)、「罪と罰」(35年)、「旅路の果て」(39年)、「追想」(75年)など。

マドレーヌの回想、「いついつまでも、ムッシュー・ジュヴェ」を読んだとき、この女優さんのことが気になった。おもしろい、というか、あらゆる意味で、興味ある女優。

 

 

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1978年2月6日(月)
別府、マラソンで、宗 茂(旭化成)が、2時間9分5.4の日本最高記録で、優勝した。世界歴代2位。弟の宗 猛(旭化成)も、2時間12分48秒で、この大会、2位。モスクワ・オリンピックに向けて、快記録が生まれた。

今日、東京に出かけたかったのだが、明日、総武線が順法闘争に入るので、予定を変更した。
午後、小川 茂久から電話。今日、総武線が運休のおそれがあって、私が東京に出るかどうかたしかめたかったのかと思った。そうではなく、船山 馨の本の批評の依頼だった。なんだ、そんなことか。「弓月」で飲みながら、話せばすむのに。
坂本 一亀(かずき)が、私を名さしで、小川に頼んできたという。
――そうかあ。一亀(いっき)さんの頼みじゃ、断れねえや。
小川は、ケッケッケッと笑った。

「二見」、長谷川君に電話。印税の件。
池上君の電話。校正は、3月20日頃。よかった。旅行から戻って、校正を見ればいい。
渡辺さんから、小説のタイトルの件。考えてない。書くのも忘れていた。

この日、「メディチ家」、ノート。

 

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1978年2月7日(火)
総武線は順法闘争に入ったので、フォックスの「ターニング・ポイント」を見るのはあきらめた。
「ジャーマン・ベーカリー」で、「二見書房」の長谷川君と会う。「フォックス」に行っても間に合わない。「東和」に行く。
「ボーイズ・ボーイズ」(ドン・コスカレリ監督)をもう一度見ることになってしまった。長谷川君の話では、「二見書房」が翻訳権をとったという。偶然だが、長谷川君にとってはこの試写を見られて好都合だったことになる。

3時半、「阪急交通」の都築君に会う。安い航空会社にきめた。なにしろ、貧乏作家だから安い飛行機を選ばなければならない。「交通公社」では、22万1千円。こちらの方がずっと安い。都築君に感謝している。
6時、「山ノ上」。
「マリア」と会う。久しぶりだった。

――「いかに美しい丘陵の曲線も、女性のその下に性器のある陰部の曲線ほど美しくはない」。

ゲーテ。ただし、ゲーテが、いつ、何処でこんなことをいったのか知らない。ノートしておく。

 

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1978年2月8日(水)
「阪急交通」の都築君から電話。パスポートの期限をたしかめてほしい、という。すぐに調べたところ、意外にも去年いっぱいで切れている。
いそいで、戸籍抄本、住民票を用意して「宇佐美」で写真を撮った。
通町、「大百堂」に寄って、義母、湯浅 かおるに挨拶。ついでに、アメリカのエリカに電話をかけて、24日、シスコ着にきめた。
ホテルも、ハイヤット・リージェンシーではなく、格下のベル・ヴューに変更する。

夜、「昼顔」(ルイス・ブニュエル監督)を見た。前に見たときは、素晴らしい傑作に見えたのだが、意外につまらない。幻想が重ねられているのだが、ヒロインの「ベル・ド・ジュール」(カトリーヌ・ドヌーヴ)の内面の説明になっていない。あるいは、ただの説明で、浅薄な心理学めいた解説に終わっている。

 

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1978年2月9日(木)
寒い日。
パスポートの申請に行く。面倒だが、仕方がない。

「木曜スペシャル」で、ハリウッド・スターのサーカスを見た。アメリカの建国2OO年の記念イヴェント。いろいろなスターたちが、マジックや曲芸を演じている。司会は、ライザ・ミネッリ。
私が驚嘆したのは、アニー・デュプレの空中ブランコだった。私の好きな女優。つい最近、「ボビー・デアフィールド」を見たばかりなので、この女優の美しさ(ナタリー・ドロンに似ている)が心に残っているが、むずかしい空中ブランコをやりぬいたので、感嘆した。

ピーター・フォンダが、クラウディア・カルディナーレと組んで、ボックス・マジック。クラウディアが立ったまま、ボックスに入って、片手、片足の先を穴から出す。ピーターが、そのボックスに、大きなナイフをグサグサ刺し込む。しかも、ボックスの胴の部分を、外してしまう。胴抜きマジックというのか。クラウディアは、頭の部分と、腰から下の部分だけになってしまう。三つにわかれたボックスをもとのようにもどす。と、そのボックスから、にこやかな笑みをうかべたクラウディア・カルディナーレが出てくる。これは大受けだった。

デヴィッド・ジャンセンが、リンダ・ウォーターと組んで、ナイフ投げ。

カレン・ブラックが、誰かと組んでマジックをやった。カレンがベッドに横になる。
そのまま宙に浮く。カヴァーをかけられる。そのカヴァーをとると、カレンの姿は一瞬で消えている。よくあるマジックだが、このあとのトウィストがいい。大きなガラスのケースが舞台に押し出される。そのケースの中には何もない。これに、カヴァーをかける。さっと、カヴァーが宙を舞う。と、カレンが、ガラスのケースの中に入っている。
これもウケた。

そのあと、ジェーン・バーキンが、ローラースケートの曲芸をやったが、彼女は緊張と恐怖に顔をひきつらせていた。足がふるえている。見ている私まで緊張した。

 

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1978年2月10日(金)
「サンケイ」本紙にエッセイ。「週刊サンケイ」に書評。

この前、文化部の四方 繁子さんのデスクに寄ったとき、偶然、山谷 えり子に会った。放送ジャーナリスト、山谷 親平のお嬢さん。「サンケイ」、婦人面で原稿を書いている。私は、女子大在学中の頃の彼女と知りあった。まさか、「サンケイ」のデスクで会うとは思わなかった。

アンパン・シュネデール事件に関して。
イヴ・モンタンがパリ警視庁の尋問を受けた。むろん、容疑者としてではない。
撮影のないときは、週に2、3度、ポーカーをやったという。
アンパン事件は、迷宮入りの感じか濃くなって、警視庁は、男爵が出入りした高級カジノとその常連たち、富裕層の12名から、解決の手がかりがつかもうとしたらしい。
イヴ・モンタンは、犯人たちを「卑劣きわまる輩(やから)」と非難した。

「山ノ上」。「マリア」が待っていた。デート。

 

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1978年2月11日(土)
ちょっと元気がない。
「メディチ家」ノート。全力をあげてこういう仕事をしていると、ほかの原稿を書く余裕がなくなる。

 

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1978年2月13日(月)
午前中、「共同通信」、戸部さん。ちょうど、原稿を書いている途中だったので、少し待ってもらう。

戸部さんが帰ったあと、すぐに小説を書きはじめる。2本、書く予定なので。
アメリカ行きが迫っているので、原稿に追われている。

 

 

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1978年2月14日(火)
「ユナイト」の試写を見る予定だったが、小説、2本目の残り。
2時、「二見書房」、長谷川君、「淡路書房」の渡辺さんに、新橋の「アート・コーヒー」で会う約束をした。渡辺さんに原稿をわたす。

長谷川君といっしょに、「CIC」に行く。
「テレフォン」(ドン・シーゲル監督)を見る。
ソヴィエトは、アメリカに51人のスパイを送り込んでいる。電話で、特定の言葉を話したときは、破壊活動をするようにプログラミングされている。
KGBの「ダルチムスキー」(ドナルド・プレゼンス)がひそかにアメリカに入国、破壊活動をはじめる。デタント時代に、そうした行動が明るみにでれば、アメリカの感情に影響する。そこで、KGBの「ボルゾフ少佐」(チャールズ・ブロンソン)が、「ダルチムスキー」殺害のため、アメリカに潜入する。

都築 道夫が、若い女性同伴できていた。お互いにかるく会釈しただけ。

長谷川君と、「帝国ホテル」の喫茶室で話す。
5時半、「山ノ上」。「ユリイカ」の若い編集者(名前、失念)感じのいい人だった。1時間で、原稿を書くと約束した。帰ってもらう。6時半に原稿をわたした。
石川君と会う。「バラライカ」で食事。
「あくね」。谷長 茂さんと飲む。(ゲオルギューの「25時」の翻訳者。)3月に、フランスに行く予定という。

 

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1978年2月15日(水)晴。
昨日、私の不在中に電話をかけてきた編集者、田中君。私の講義をきいたという。電話で、原稿の依頼。締切りを聞いてから引き受けた。
本田 喜昭さんから電話。これも、締切りを聞いてから引き受けた。出発までには書けるだろう。

雪が降ってきた。